なんかいとらふ いつくる? なんかいねたら おちつく? まいにちねがう どうかきみたちだけは あかるいひびが つづきますように あわよくば そこにじぶんも いっしょにいれるよう まいにちかくごして まいにちあいをつたえる まいにちはぐして いってらっしゃいをする まいにちこころで さよならをする まいにちいのる どうかたいせつなひとが いたいおもいをしないよう つらいひびをすごさないよう まいちにじゅんびして まいにち まいにち まいにちかくごのひび またあすも
1. 祖母が亡くなったあの日のことを、その日までの数日のことを、15年の思い出を、毎日毎日反芻していく。 忘れずに大事に抱えて、たまに取り出しては懐かしくなり、悲しくなり、寂しさで涙が止まらないのだと思っていた。喪失感が一生続くと思っていた。 2. 祖母が亡くなってからは、少し不安定だったと思う。ふとした時に祖母のことを思い出し泣き、昔の写真や動画を見て泣き、人の思い出話で泣き、近くにいる家族すら失うのではないかと不安で泣いた。 同時に抗えない死に対して諦めを感じていた
「そういえば全然知らない人と喋ったな」 昨日寝る前にふと気がついて驚いた。 夕方6時半仕事を終えて帰宅。 保育園にいる娘を迎えに行って家に入る直前。 自宅の少し先に老婆が歩いているのが目に入った。 この家に住み始めて約4年が経っているがご近所付き合いは少なく、数名顔見知りがいる状態。 この老婆は初めて見る顔だった。 細くて小さい。 薄紫のTシャツを着てスカート姿。 小さい歩幅で近づいてくる。 挨拶をすると、少しいいかしら?と言ってお喋りが始まった。 あらー!かわいいわ
実家から歩いてすぐのところにコーヒー屋ができた。 なかなかオシャレとは程遠い地域なので、コーヒー屋があるというのはかなり衝撃的だった。 介護のため帰省するとちょうどプレオープン中で数日のみ営業していた。 黄色の外観と犬の絵の大きな看板。 コーヒーマシンとカウンター。こぢんまりしているのに手狭感のないスッキリとした店内。 瓦屋さんの展示スペースを改装した店舗で、内装には瓦で模様が描かれている。 壁に取り付けてある棚にはたくさんのコーヒー豆が瓶詰めしてあり、違う土地に来たよう
名言集みたいなサイトを見ていたら新渡戸稲造の言葉を見つけた。 “自分が生まれてきたときより死に至るまで、周囲の人が少しなりともよくなれば、それで生まれた甲斐があるというものだ” 少しでも良くなればなんて期待はしないけれど、今の自分にはこの言葉が鋭く刺さって、5000円札だった人ということしか知らない新渡戸稲造がちょっとだけ好きになった。 この言葉を聞いて、心に溜めていた思いと記憶を文章化したいと思って書きました。 書き始めたら止まらなくなり結局上手くまとまっているのか
※ この話題は死にまつわるものです。強い表現や詳しい描写があるため不快に感じたり読むことが難しいと感じたら、無理はせずすぐに読むことをやめてください。 人間はなぜ生きるのか。 ふとした瞬間に、死を思うことがある。 簡単に、唐突に無性に死を願うことがある。 作業と作業の合間、気の抜けた瞬間にやってくる。 なんでこんなに頑張ってるのだろう。 生きるために働き、ご飯を食べて寝る。 やることなすこと、エゴでしかない。 生きているだけでゴミを出す。 そんなゴミを生み出し続けるだ
まず、このことを再考するきっかけをくれた友人に感謝しかない。ありがとう。 この話を友人と交わした時、うまく返事できなかった。辛いねとかしんどいよねとか曖昧な反応をしたと思う。どう思っただろうか。 会話の後もこのことをぐるぐる考えていた。 1〜2日考えて、とりあえず自分の今をまとめようと寝る前に一気に書き上げたのが先の『誰かが描けば良いとおもっていた』だった。 友人に1番に読んでほしくて、書き上げてすぐ報告して読んでもらった。 友人に描いて欲しいからとか(これについては強が
絵を描くことに人生の半分くらいは費やしてきたはずだ。 けれど、世の中には良い絵が溢れていて自分の描きたいものも見つからなくて、なんなら描いてないし。 描くほどの熱量も技術もなくて、プライドも邪魔して。描いたとしてもこんなはずじゃない、と。 自分が描くことの意味が見出せない時期が長いことあった。 先日友人と話している時にその話題になった。 「前に楓ちゃんが言っていたのと同じ気持ちになっている、良いと思う絵は世の中に沢山あるからわたしが描かなくても良いやという気持ちだ」と。