表現力を鍛えるためには国語力を鍛えよ
こんにちは!あいでんです。
パナソニックが半導体事業から撤退し、子会社を台湾の企業へ売却するらしい。その金額およそ280億円。
なんでも韓国や台湾の企業の急成長により業績が低迷し、赤字経営が続いたことが要因のようだ。
アジアがぐいぐい来てんなあとしみじみ。
▷はじめに
今日は講義で日本語能力テスト的なものをやりました。
以下の本で実際にある内容をテストとして今回は使いました。
どうも聞くところによるとAIは日本語に弱いらしい。
しかしながら、我々人間(日本人)が日本語に強いかというと必ずしもそうではなくて、いわゆる日本語能力(国語力)みたいなものは個人差がかなりあるように思います。
やはり日本語が正しく読めないとコミュニケーションを取ることは難しいし、物事を理解するのも難しいのではないかと思う。
今日はそういう日本語のお話。
▷テストを受けてみた結果…
受けてみての感想は「日本語ばりむずい」でした。
まずはどういう問題が出たかを皆さんに体験したいただこうと思います。
いかがでしょう?
答えは出揃いましたでしょうか?
では、答えです。
何問正解することができたでしょうか?
この3つの問題は私が間違えた問題の一部です。
ちなみに今回テストを受けた結果、70点満点中63点というそこそこいい点数&授業内ではトップの点数が取れました(ドヤッ)。
これも日頃のnoteの成果だといえるのかもしれません。
▷日本語って難しい
テストを受けたあとは、なぜこれは間違いなのか、これがバツなのは気に入らないという話を全体でやりました(笑)。
そこで思ったのは言葉の捉え方や視点の違いによって、同じ日本語でも意味が変わってくるということです(それが正しいかは別にして)。
これに「尊敬語、丁寧語、謙譲語」という使い方や方言なども関わってくるのだから本当にややっこい。
社会人になり企業に勤めれば今の数倍は文章を読み書きしたり話したり聞いたりするというのはTM先生がよくする話。
つまり、国語力が備わっているというのは大前提でビジネスは進んでいくのだ。
これを現在は特に卒論で痛感しています。卒論を書くためには先行研究を読んだり、それを整理したり、仮説を立てたり、言葉を定義づけたりと常に国語力が求められる。
特に文章で自分の考えていることや思いを伝えるためには厳密に言葉を紡ぐ必要がある。話や映像だと相手が行間を読んだり勝手に解釈してくれたりするけど、文章はそれのみでしか伝える手段がないので、厳密さは増す一方だ。
こういう国語力って語彙力も含まれていると思うんだけど、国語力や語彙力は言語化能力にも影響すると思う。
言語化に苦しむ理由は大きく二つしかないと思っていて、一つは言語化するための知識がないから。一番大きいのはこっちだと思うけどもう一つは言語化するための言葉を知らないから。
つまり、感情や思考や状況などを適切に説明する言葉を知らないから言語化もできないよねということ。ドイツ語で言語化しろと言われてもできないのと原理としては一緒。
で、私が受講しているこの授業は「表現力を鍛えるためのプログラム」という授業なんだけれども、こういう日本語能力テストみたいなものをわざわざ授業でやった意味はなんだろうか。
答えはシンプルだ。
『表現力を鍛えるためには国語力を鍛えよ』
こういう話ではないだろうか。
▷おわりに
国語力を鍛えるためには文章を読むしかないのだろう。
だから、「表現力を鍛えるためには読書をしよう」っていう風に言い換えることもできるかもしれない。
noteを書くことも国語力を上げるための一助になればいいなとか思う1日でした。
そういえば大学一年時に受けた日本語能力テストはそんなに芳しい成績ではなかったと記憶しているけど、多少は国語力が高まってきているのだろうか。
元がポンコツだからっていう話はもちろんあるんだけどね。
それでは、また次回!