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科学には愛がなくてはいけない
こんにちは!あいでんです。
気づけばゴールデンウィークに突入。充実してるから時が経つのを早いと感じるのか、ただただ浪費しているから早いと感じるのか。そんなことはさておき、昨日の記事を書くために1週間を振り返っていたのですが、直接的には関係のないとあるエッセイがふと浮かびました。
以前の記事でも紹介したような記憶があるのですが、『さよなら未来 (著:若林 恵)岩波書店』の内容になります。
そのエッセイは今回の記事のタイトルと同じ『科学には愛がなくてはいけない』というタイトルでした。
科学やテクノロジーが急速に発達している現代、多種多様にそれらは利用されている。時には人々の生活を豊かにする恩恵を、時には人々の生活を脅かすほどの損害を与える。同著には次のようなセリフがある。
「科学に善悪はない。ただし、人はそれを善にも悪にもすることができる。だから科学には愛がなくてはいけない」
とても深い言葉に感じます。これを私なりに翻訳すると、「愛を持って科学と接しなさい」ということになります。それは至極当然で、科学にはそれだけの影響力があるからなのです。
人と接するときにも似たようなことが言えるのではないだろうか。愛を持って接さなければ、時に相手を大きく傷つけることになる。人と接する以上は相手を傷つけてしまうリスクを負わないことは不可能に近いのだけども。
今回はそれを如実に感じる場面があった。その背景にはバイアスをかけて対応してしまったことや、「なぜなぜ攻撃」への反骨心的なものなどがいろいろ合間ってのことだったんだけれども、果たしてそこに愛はあったのだろうか。
私自身は少し欠けていた気がしてやまない。相手の事を考えれていただろうか。利他的に動くことができていただろうか。愛を持って相手と接していただろうか。
小手先のことを考える前に、人として最も重要な部分が欠けていたのではないか。愛を持って相手と接するという行為は、相手をリスペクトして接する行為だと言い換えることができる。相手をリスペクトするというのは、いつの時代も変わらず必要なことではないだろうか。
今の私はそんな当たり前のことすらできる人間ではない未熟者だった。当たり前のことを当たり前にできる人間になろう。そんなことを考えた出来事でした。
それでは、また次回!
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