無題

新しい「ヴェニスの商人」をみた。

カクシンハンの舞台をみてきた。
舞台をぐるっと観客が取りかこむ形で上演された「ヴェニスの商人」。
距離が近かったというのもあり、役者の魂がこもった演技に圧倒されっぱなしの2時間半だった。

当初、この舞台は「ポケット公演」と聞いていたからもっと軽めのものかと想像していたのだけど、全然そんなことなく、濃い、濃すぎる舞台を見させてもらったのでビリビリと細胞に染みわたるほど感じた興奮をお伝えしたいと思います。


シェイクスピアを上演し続ける、カクシンハンとは?

カクシンハンは2012年からはじまったシェイクスピアの戯曲を上演する演劇集団。シェイクスピアの代表作「ロミオとジュリエット」「ハムレット」などを個性溢れる現代的な演出でアップデートし、話題になっている。

主催している演出家の木村龍之介(きむらりゅうのすけ)さんは、「若い感性でシェイクスピアを新しく塗り替えてみたい」という野望をいだいている。

木村さんについて、

1983年、大分県生まれ。兵庫県宝塚育ち。東京大学文学部卒業。シェイクスピアシアター、蜷川カンパニー、文学座附属演劇研究所などで俳優・演出を学び、カクシンハンを立ち上げ、全作品を演出。
(カクシンハンHPより抜粋)

とあるが、シェイクスピアに目覚めたのは大学生の頃だそう。

この人がまた面白い。

木村さんとシェイクスピアの出会いについて。
大学生の頃、図書館に入り偶然シェイクスピアの本『マクベス』を手に取ったそう。そこに書いてあった「バーナムの森がダンシネインの城に向かってくるまでマクベスは滅びはしない」・・というハリーポッターみたいな現実離れした内容に衝撃を受け、それからのめりにのめり込んで、演出家になってしまった!ということを話してくれた。(ほぼ日の学校の授業で聞きました)

この話は、私にとって強烈だった。
「あぁこの人はシェイクスピアに選ばれた人なんだ」と思ったし、私だったらおなじシチュエーションでシェイクスピアの本を手にとっても確実にスルーしてしまうと思う。バーナムの森?ダンシンネイン?って。そもそも、シェイクスピアの戯曲で使われていることばは普段使わない馴染みのないことばばかりで、一見理解するのが難しい。

では、なぜ木村さんはシェイクスピアに魅了されたのか?
ほぼ日の学校でこう話していました。

「シェイクスピアの戯曲は身体の深い中にある野生的なものが、美しい言葉で書かれている。好きとか嫉妬とか。それが自分たちの問題として、400年経った現代(いま)に語りかけてくるのだ」

↓ 少し動画みれます。



シェイクスピアに魅了された木村さんが、およそ400年前に書かれた物語を時空を超えて「演劇」という形で私たちに提供してくれるもの。
それが木村さんが生み出すカクシンハンの舞台なのだ。

ヴェニスの商人、あらすじ

ヴェニスの商人って知っていますか?名前だけは知っている、という方も多いのではないでしょうか。
あらすじを簡単に説明します。

ヴェニスの貿易商人アントーニオは、ベルモントにいる大富豪の女相続人ポーシャへの恋に悩むバサーニオのために、ユダヤ人の金貸しシャイロックから借金をする。 自分の心臓に最も近い「肉一ポンド」を担保に…ところが、彼の商船はことごとく難破し、財産の全てを失ってしまう。 一方のバサーニオは、亡父との契約に縛られるポーシャに求婚するため、金、銀、鉛の箱選びに運命を託す。 そして、ヴェニスの法廷では、肉一ポンドをかけて裁判が開かれようとしていた…
(カクシンハンのHPより抜粋)

舞台はイタリアの都市「ヴェニス」。
アントーニオは、利益を追求するビジネスマンである一方、異邦人を毛嫌いするキリスト教徒。
一方、シャイロックは差別的な扱いをキリスト教徒から受けながらも高利貸しの地位を築いてきたユダヤ人。

この対照的な2人が人肉裁判で争うというストーリーだ。

実際に16世紀のヴェニスでは全く異なる価値観をもったキリスト教徒とユダヤ人の「相互依存関係」があったという。

異文化の共存する都市であるがゆえの内側にひそむグラグラとした不安や危機が、2人のやり取りから伝わってくるのも舞台の見どころだ。

↓ 時代背景についてはカクシンハンのHPに詳しく書いてあります。

ここからは、私が感じる「カクシンハンの魅力」をご紹介します。


カクシンハンの魅力①:パイプ椅子が影の立役者に

カクシンハンの舞台は『パイプ椅子』を使うのだ。

(こちらはハムレットの写真です)

面白いのはただ普通に使うのではない。パイプ椅子がその概念を超えて、舞台の小道具として七変化ばりに色々な役を演じる、重要な役者の1人になっているということだ。

ヴェニスの商人では、パイプ椅子の「座る部分」がくりぬいてあった。
最初、会場に入ったときに「座る部分」がない4つの椅子が吊り下げられていたので、「なにに使うんだろう?」と思っていたら、ときにはポーシャの求婚者が選ぶ「箱」になり、ときには裁判にかけられたアントーニオをしばりつける「鎖」になるのだ。
普通の椅子としても活用されるのではあるが、このウィットに富んだ使い方にはいつもびっくりさせられる。

そして、観ている方も違和感なく、あれが箱だと言われれば箱に見えてしまうのだ。パイプ椅子づかい。これこそ、私は「カクシンハンマジック」の一つだと思う。

魅力➁:木村さんの若い感性がいかされたファンキーな演出

踊り出すのだ。とつぜんに。
シリアスな場面かと思えば、いきなりと役者がマジメな顔してポップでファンキーな音楽とともに踊り出す。いきなり「徹子の部屋」が始まる。サングラスをかけたイカした兄ちゃんが裁判を仕切り出す。
一見、あらすじとは無関係のようできっとなにか意味があるんだと思うけど、正直よくわからない。でも、面白い。

400年前に生み出され数々の名優たちが演じてきたシェイクスピアの固定概念を、カクシンハンは現代的な感性でぶち壊すのだ。
原作がある舞台だと「次はあのシーンだな...」とお客さんは想像しがちだけど、カクシンハンの舞台ではそれが通用しない。メリハリがあって、いい意味で眠くならないエンターテイメント性の高い舞台演出で、強く印象に残るのだ。


なぜ、毎回このような個性的な演出をしているのか?
木村さんは『時空を超えて』ということばをよく使っている。400年前のできごとを、時空を超えた現代に生きる私たちに繋がる部分を掘り起こしてシェイクスピアの魅力を伝えようとしているのだ。
例えば稽古では、ストーリーの中に「城」が出てくるとすると、現代でいうとなにか?ということを役者に考えさせるところから始まるんだそう。
ただ、なぞっていくのではなく、近づいて新しいものを生み出そうとする。
それは寧ろ、0から1を生み出すことであり、結果としてさらに増幅された新しいシェイクスピアの世界が創られている。

シェイクスピアの魅力を伝えたい!というカクシンハンの真っ直ぐな想いが毎回新しい演出に繋がっているのだと思うと、次の作品への期待も大きくなる。

魅力➂:役者の演技が生々しい。

カクシンハンの舞台は役者との距離が近い。汗や息づかいが聞こえて、自分も舞台にたっているような緊張感が走るので、舞台を見終わったあとはとても疲れてしまう。

木村さんは観に来たお客さんに「役者の身体性を感じてほしい」と話していた。身体性ってなに?私がみていて2つの意味があると感じた。

1つ目はそのままの意味で「身体を使った全力演技による身体性」。
会場に散らばった紙きれやパイプ椅子などの小道具を身体全身で使って演技すること。
2つ目は「ことばから創り出される身体性」。
愛、憎悪、悲しみ、嫉妬という人間の根っこにある複雑な感情を、「ことば」をベースに彫刻のような形で創り上げていくこと。
この2つの身体性によって生々しさが浮き彫りにされているのだと感じた。

役者も個性強いバラエティ豊かなメンバーで、全員紹介したいくらいだが、その中でも特に今回シャイロックを演じた河内さんが凄かった。
悪役のシャイロック。原作を読んでいて気づかなったのだが、実はユダヤ人として差別を受けている悲劇的なシーンが多い。河内さんが演じていたシャイロックはまさにその『悲しみの感情』が浮き彫りになっていて観ていて新しい発見があり、とても新鮮だった。



舞台俳優というのは、感情の使い分けがここまで自由自在に操ることができるものなのだろうか。
「怒っている」シーンで声を荒げたと思えば、いきなり腹の底から湧き出る低いトーンで恐ろしい声を出す。彼が話し出すと、さらにピリッとした空気になるのは今回演じたシャイロックというキャラクターの特性あるのかもしれないけど、存在感のある役者だなと思った。

河内さんはアフタートークで今回の役の難しさをこう語っていた。
「シャイロックは今まで演じたシェイクスピアの役で一番重かった。自分だけの内省的なことばではない、全世界に共通することばを代弁していると感じた」

その、悲哀に満ちた感情を見事に演じ切っている河内さんに個人的にはMVPをあげたいと思った。

もちろん、他の役者もすごい。というか、1人で何役もやっている。
シリアスな役だと思えば、数分後にはノー天気な明るい役に。カクシンハンの舞台は暗転を一切しない、ロングショット形式なので舞台中は役者に「やすみ」がないということなのだ。

たいへんさが伝わる分、観ている側も役者に合わせて一生懸命観ている。息をすることを忘れるくらい。こんな舞台はなかなかない。

さいごに、シェイクスピアとの距離を縮めてくれたカクシンハンに感謝です。

シェイクスピアってなんだか難しそう。

最初、私はこう思っていたし、いまもそんなに変わっていない。

平凡な人生を送ってきた私にとって、シェイクスピアの戯曲は馴染みのない感情と、現代とかけ離れたことばをたくさん使っていて、いまだに全く慣れていない。

でも、カクシンハンに出会って舞台を観るようになってからシェイクスピアが身近なものとして感じられるようになった気がする。舞台中は自然と、感情移入して涙が出ることもある。あのセリフ、あのシーンでなぜ涙が出るのか。説明するのにはもう少し時間がかかりそうなんだけどその『心が震える瞬間』が楽しくて快感で、きっとまた舞台を観にいくんだろうなと思う。

(この記事で掲載している写真はカクシンハンさんに許可をいただきました。ありがとうございました!)

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