質問を起点とした会議が「学びの学び」を促進する
久しぶりにAction Learning セッション(質問会議)に参加しました。
どういうものなのかはこちらをどうぞ。
何気に私も認定Action Learningコーチだったりします。
Action Learning とは…?
何をするかというと、職場などの問題について話し合うセッションです。基本的な流れは、問題の定義、ゴールの設定、行動計画の立案となるのですが、ここに加えてセッションの振返りが必ず入ります。話し合った問題そのものだけではなく、話し合い方、質問の在り方、チームの雰囲気について振返り、チームの活動をより良いものにしていくのです。
会議は、一人の問題提示者の話題提供から始まります。自分自身が抱えている問題を議題としてあげるのです。それに対して参加者は質問をします。というより、意見ではなく、質問だけすることになっています。この会議では、参加者は、質問に答える形でのみ意見を言うことになっています。逆に言うと、自分から発して良い発言は、質問だけということになります。
問題提示者として改めて感じたこと
問題提示者として、質問に答えるって結構大変です。答えになってるのかなとかモヤモヤするし、「え? 何でそんなこと聞くんだろう」と不安になったりします。でもこのセッションの良い所はコーチがいることです。コーチは、議論そのものに口出しはしません。「いま、うまく行ってますか」と介入するのです。それがあることで「いや、なんか質問に答えてるけど、あってるのかなとかモヤモヤします」と答える事ができます。普通の会議では、気持ちや雰囲気を聞くなんてことはないですよね。でも、実際には、発言できなくてモヤモヤしていたり、本当は意見があるけど、波風立てたくないなという気持ちが働いて何も言えなかったりします。それでは、当たり障りなく問題を話すだけなので、ありきたりな解決策しかでてきません。チームの関係性をオープンなものにしながら、何でも言える安全な場を形成することがコーチの役割の一つです。
わたしが今回提示した問題は、職場の些細な問題でした。みんなが守るべきルールを守れていないが、なんとなく、ナアナアになっているというような内容です。こんな問題の提示で良いのかなと思っていました。しかし、質問を受けて答えているうちに自分と向き合うことになります。色々と内省が進むんですね。そして、答えているうちに根の深い問題だと気づくことができました。ルールを守るための知恵を社内で出せないくせに、コンサルタントとしてお客様に偉そうなこと言えない、という思いを言葉にできたのです。そして、それは、わたしだけではなく、わたし達が会社で取組むべきことであると。そして、自分はそのためのリーダーシップを発揮できていないと思い至ったのでした。
一人で考えてた時は、どちらかと言えば、どう対応するかHowで考えていました。そして、どこか他責にしていたように思います。それが、質問に答えているうちに、わたしの問題になり、わたし達の問題になりました。
こうした視点や考え方の変化は、セッション後に行われる振返りの中で気づくことが多いです。コーチのもう一つの役割は、チームの学習を促進することです。セッションの最後に振返りを行い、今の会議はうまく行ったかどうかを振返ります。今回もその振返りの際に参加者の一人から「途中から、主語が『わたし』から、『わたし達』になりましたよね」と言われました。「ああ、なるほど確かにそうだ」と思いました。このような活動を通じて、どうやって問題の本質に迫るか、どんな質問が有効なのかをチームで学んでいくことができます。
質問する参加者として改めて感じたこと
このセッションをすると、質問の質が大切だとあらためて思います。ただ分からないことを聞くだけではなく、問題の本質を探究する問いを立てることが大切です。もちろん、最初からそういう問いを立てられる人はいません。繰り返し振返りながらセッションを重ねることで学んでいきます。
質問の質でポイントをあげるとすれば、それが「学習者の質問(Learner's Question)」になっているかということです。これは、そこから何を学ぶかという探求の問いです。避けたいのは、「批判者の質問(Judger's Question)」です。何かをジャッジ、評定するためにする質問のことを言います。これだと、自分の考えの枠を超えることができません。
Action Learning セッションにはグランドルールが定められています。その中に「課題解決に集中。犯人探しをしない」というものがあります。チームにとって必要なことは、前に進むことです。罪を憎んで人を憎まず、という言葉がありますが、そうした姿勢を大切にします。
これは、関係性を良くするためだけのものではありません。物事の本質に迫るための態度でもあります。
よくあるのは、そうとは知らずに思考停止になっていることです。例えば、モチベーションという言葉。「部下のモチベーションが上がらない」という問題があったとします。ここで「なぜ部下のモチベーションはあがらないのですか?」という質問はもちろんありです。ただ、モチベーションが上がらない特定個人の問題だけに終始してしまう可能性があります。もちろんそれでも前には進むでしょう。ただ、もっと深めるなら「○○さんがおっしゃっているモチベーションて何ですか?」「そもそもモチベーションってないといけないんでしたっけ?」といった問いが考えられます。そもそもに立ち返るような問いですね。これがあることで問題提示者も参加者も自分と向き合い内省することが促されます。
コーチがいることの意味
今回、わたしはコーチ役をやりませんでしたが、あらためてコーチの役割を学びました。コーチは、話し合いの中身には関わりません。チームの関係性を築き、チームの学習を促進することがその役割です。関係性や気づきを促すという意味で言うと、1on1のコーチングもありますよね。直接的に相手に質問やフィードバックをして気づきを促します。Action Learningのコーチは、チーム活動に参加してチーム全体が学ぶ場を作っていきます。これはリーダーシップそのものだと改めて思いました。とはいうものの、コーチがいるからその場が成立するのでは不十分なのだと思います。コーチがいなくても、チームで課題解決をする関係性と、質問力、そこから互いが学ぶ力が発揮できるようになることが目指すゴールとなります。
こうした対話型のセッションは、10数年前と比べるとだいぶ考えが浸透してきているように思います。例えば、「心理的安全性」という言葉がよく聞かれるようになってきました。以前だと「安全な場にしましょう」と言っても伝わらなくて、「ここだけの話をしていいよ」「たとえるならタバコ部屋の様な」などと補足していました。人によっては、学生の段階でこうした対話を学んできているケースも増えたのではないかと思います。
こうした場は、良いですよね。すっきりするし、認めあう空気が醸成されます。ただ、すっきりすることを求めるだけだと学習になりません。本当に前に進むなら、葛藤がつきものです。自分の中でも、人との間でも。時にモヤモヤして、「なんでこんなことを言うのか」と関係性が崩れるようなこともありといえばありです。対話の場を形成するコーチは、それを「嵐」と呼びます。できれば避けたいし、修復不可能になってしまうと大変です。ただ、予定調和したり、よく分からない忖度をしても進歩がないんですよね。雨降って地固まる、じゃないですが、そうやって人も組織もしなやかな強さを獲得するのだと思います。
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