スキかキライか
わたしは子どもの頃から無口で引っ込み思案で、小学校の通知表には内向的と書かれていました。
今なら外向的が善で、内向的が悪とも思いませんが、母親は我が子の行く末をとても不安視していたようです。
今でも、第一印象で損をするタイプだと自覚しているのですが、話してみると悪い人間じゃないなと、徐々に親しみを持たれるのも悪くないと思っています。
そんな風に一見物静かな雰囲気を醸し出しているので、とかく優柔不断な人に見られがちですが、好き嫌いはハッキリしています。
好きでも嫌いでもないというのはなく、好きか嫌いかの二択。
しかしそれは心の中で思っているだけで、処世術として、
「どっちでもいいですよ」とか
「そっちで決めていいですよ」などと玉虫色の返事をしてしまいます。
意思表示をはっきりすることは苦手です。
たとえば、昨日の朝食。
夫が奇妙なサラダを作ってくれました。
キャベツのコールスロー風なサラダで、かなりスパイシー。
言葉で説明するのは難しい。
敢えて美味しいとも不味いともいわず、これは胡椒の他に何が入ってるの?と質問したところ、
夫は得意気に
ヨーグルトに砂糖、胡椒の他に、ガラムマサラと乾燥パクチーと…、と答えました。
塩は?
最初に塩揉みしたよ。
(実はその前日に作ったナスのサラダに塩を入れ忘れていたのです)
なるほどと納得したところで、とくに何も述べませんでした。
それが感想です。
図書館に行き、あんまり暑いので日が暮れてから帰ろうと、雑誌の最新号数冊を斜め読みしていました。
『オール讀物』の東海林さだおさんのエッセイを読んでいたら、
という一節がありました。
わたしが日頃から思っていることを見事に代弁してくださいました。
この世界はつまるところ、「好き」と「嫌い」だけで回っているのではないか。
人間の決めることは、人事でも政治でもすべて、好悪の感情が支配している。
出来る部下でも、「イケスカナイヤツ」と上司が思ったら、個人的な匙加減で昇進が見送られることもある。
それを運と呼ぶ人もいるけれど。
だからといって八方美人はイヤだ。
どうせスキかキライかで、仕分けされるのなら、わたしもそうさせて頂きます。
スキかキライか
自分に正直に。