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ニホンヒダンキョー

たまたま広島に帰省しているときに、ノーベル平和賞の発表があった。

日本被団協の受賞は広島の人も予想だにしていなかったのでは…と思う。

広島の街中には今でも原爆の記憶が身近にある。


隣には南警察署があります

生粋の広島人なら、親族、知人に被爆者がいるのは当たり前で、わたしも被爆二世である。

父は中学2年生のときに被爆し、一学年下の生徒は今の平和公園あたりで建物疎開の作業に当たっていたため、ほぼ全滅した。

父は定年退職後は、修学旅行生などに被爆証言のボランティアをしていた。
小学生用、中高生用、大人用、3種類の原稿を用意して熱心に活動していた。

脳梗塞で倒れた日も予定が入っていたが、自分でキャンセルの電話を入れてから入院した。

その前々日、前日も活動し、それが最後になった。

父の代わりに、ボランティアを辞めさせていただきますと本部に連絡すると、記念品が送られてきた。

贈呈 公益財団法人
広島平和文化センター

いつも私事ばかりで恐縮です。
 
ビバクシャ、ヒロシマ、ナガサキはカタカナで表記され、世界に通用する言葉になっている。

オバマ大統領の広島訪問、広島サミットなどをきっかけに世界の人々が益々被爆地広島に関心を寄せてくれるようになったと思う。
広島駅は驚くほど外国人観光客でごった返している。


核兵器は言語道断、今世界で戦争が継続中であるのに、わたしたちは暢気すぎるのではなかろうか。