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人のミスを論う人びと

人間にミスはつきものと、
開き直るのもよくないけれど、
ミスを恐れるあまり殻に閉じこもり、身動きが取れなくなるのは、非常に勿体ないことではないかと思います。


例えば、公の機関がなにかミスをしようものなら、非難が一斉に集中します。
それだけ皆さん、公の機関に期待して、信じているということかもしれません。
「公僕だからきっちりやれ!」という気持ちもわかります。
でも、末端は大抵バイトのおじさん、おばさん、おにいさん、おねえさん、普通の人々です。
最終的にはチェックをする人の責任ですが、新しい制度が運用されたりするときには、膨大な量の事務を処理しなければなりません。
当然何件のかミスが発生します。
そんなことがあれば、ここぞとばかりに思いっきり叩かれます。
全体から見るとほんの微々たるヒューマンエラーなんですけどね。

いやいや、そんなこといったらわたしも叩かれそう。
建前として、ミスは「絶対」あってはならないのでしょう。
とりわけ人の命を預かる現場では。
それでも悲しいことに、ミスは起きてしまいます。
ならば、何でもロボットに任せればいいんじゃないかと思いますが、ロボットも所詮人間がつくったもの。壊れることもあるでしょう。

公の機関に限らず、ミスが発覚するとミスした人を責め立て、吊るし上げる風潮。
そんなあなたは今までミスしたことがないんですか?

最近カスハラという新語も聞くようになりました。
ヒステリックに人を攻撃する人は昔からいますが、ご自身が何か問題を抱えているのか、憂さ晴らしをしているとしか思えません。
そういう人に限って、他人に厳しく、自分には大甘だったりして。

チェレンジにはミスがつきものだと思うのです。

わたしは、典型的な打たれ弱い人間ですので、失敗を恐れるあまり、チャレンジのチャンスをことごとく逃したような気がします。
もう少し鈍感で、もっと貪欲だったなら、違う人生が開けていたかもしれません。

何度失敗しても負け続けても、「やってみなはれ」と信じて応援してくれる人がいれば、頑張れるような気がします。


東の京の田舎市民さん
わたしも、最後まで我が子を信じ、味方でいてあげられる親でありたいと思います。


たとえ、すべての人に見限られても、自分で自分のことだけは見捨てないようにしたいです。

coucou@note作家さんの記事を拝読し、この名言を知りました。

ミスをしない者とは、
何もしようとしない人間のことだ。


(セオドア・ルーズベルト)