逆読み『はだしのゲン』
小学校の図書室で読んだ『はだしのゲン』(中沢啓治 作)
広島で生まれ育った人間として、原爆のことは物心ついた頃から話に聞き、学校では平和教育を受けてきたけれど、『はだしのゲン』のグロテスクともいえる生々しい表現には、たじろいだ。
それでも、学校の図書室にマンガが入ったというので、皆で競って読んでいた記憶がある。
そんな『はだしのゲン』が広島の平和教育副教材から削除されたというニュースを聞いたのは2023年のことだった。
今の時代にそぐわない内容なのだとか。
たしかに、盗み、人殺しの場面もある。
教育上、よろしくないということなのだろう。
過激な表現、偏った歴史観もあるという。
しかし、それを差し引いても、生きるか死ぬかの極限状態で「平和の尊さ」「生きるとは?」を考えさせる内容だと思う。
夫が図書館で『はだしのゲン』を借りてきた。
ノーベル平和賞を日本被団協が受賞したことが関係しているのか、1巻〜7巻は貸し出し中だったようだ。
仕方がないので、8巻から1冊ずつ借りて、逆に読んでいる。
8→7→6→5巻まで来た。
元と浮浪児 隆太の出会い。
隆太はなぜ感化院に入ったのか。
顔に酷い火傷を負った夏江と勝子なぜ洋裁店を開いたのか。
朴さんはなぜ元たちの力になってくれるのか。
遡るにつれて謎が解けていく。
推理物じゃなければ、逆読みもアリだ。
何巻か忘れてしまったけれど、主人公 元が原爆症で苦しみながら亡くなった母 君江の遺骨をもって上京し、天皇に戦争責任を追及しようとした場面が強く心に残った。
また、踊り子(芸妓)になるはずだった夏江は大火傷により顔にケロイドが残り、何度も自殺を試みるが、両手を失っても生きていくために口と足だけを使って針仕事をしている女性の姿を見て、洋裁を学ぶ決心をする。
家族をなくし、焼け野が原で生きていく人間の逞しさを感じた。
戦争反対はもちろん、現代人が忘れてしまった生きることへの執着、貪欲さを、ゲンは教えてくれる。