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人の花は赤く、隣の芝生は青い。
noteを読んでいて、才能のある人、没入できる趣味がある人、旅行三昧の人、さまざまな経験を積んで来た人、家族愛に溢れている人、地位も名誉もある恵まれた境遇の人、物心ともに充実した生活を送られている人…
淡々と綴られているようで、その人の強みのようなものが文章の端々に滲み出ている。
一方で、愚痴や不平不満をnoteにぶちまける人もいる。
noteの使い方は、人それぞれ。
他人に害を及ぼさなければ、何を書こうが自由な帳面。
読むのも自由なら、読まない自由もある。
しあわせのお裾分けという言葉があるけれど、他人のしあわせを見せられて、しあわせになれるのなら世話はない。
あまりにもしあわせを押し売りされると、羨ましいを通り越して妬みも生まれる。
自分のしあわせは自分では気づきにくい。
家族への愚痴さえも、家族のいない人から見れば、羨ましく感じることもあるだろう。
人は誰でもないものねだりをする。
宝くじが当たると不幸になるというジンクスは、人のしあわせを妬む心がいわせているのかもしれない。
映画『PERFECT DAYS』の主人公のように、足るを知る人になりたいけれど、なかなかそこまでの境地に辿り着けない。
それでも、この年になると、もう自分の限界が見えてくる。
胃袋も小さくなり、美味しいものを思いっきり食べたいとも思わない。
流行の服も似合わない。
心の贅沢のようなものが欲しくなる。
しあわせな人とは、しあわせを見つける能力のある人だと思う。
もしかしたら、誰かの名言かもしれないけれど。
noteの片隅で、ささやかなしあわせを吐露したい。