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【海外移住の話⑨】 フィジー 《独立してるんやから国旗変えるで!運動の行方》
他人との垣根の低さがハッピーに暮らせていた秘訣
フィジーでの生活が東京でのそれと比べて物理的に不便なことは、それはもう色々ある。
公共交通機関はバスとタクシーしかなく、時間通りには来ないし、ガスは切れたらスーパーに重いタンクを買いに行かないといけないし、店員はテキトーで、断水は2ヶ月に1回、停電は月1。
でも他人との垣根の圧倒的な低さがそれをカバーして、むしろ便利さを上回る。
馴染みの床屋さん、肉屋さん、スーパーの店員まですぐに仲良くなれて毎回雑談するし、「来週帰国やねん」と言ったらハグして「写真撮らんと!」と言ってくれる仲にもなる。
火が必要以上に燃え盛ってたことに突っ込んだことから仲良くなったバーベキューの屋台では「今日はサービスや持ってけ」と言われたこともあるし
魚一匹くれる漁師さんもいたし
高いところにあるマンゴーをゲットしようと必死な知らない子どもたちと一緒になってマンゴー採りにチャレンジしたり(結局採れず)
教会に行ったら歌えないのにステージで賛美歌を歌うハメになったり
はたまたフィジアンダンスの練習ができたり
ボーイスカウトのアクティビティにドタ参で混ざれたりもした。
人食文化から独立の歴史
そんなフィジー、ずっと独立国家かと思いきや、もともとイギリスの植民地だった。
だからフィジー系はフィジー語、インド系はヒンズー語が母国語やけど、公用語は英語。
伝説によると8000年前ぐらいからフィジーに人が住み始めたとされ、200年くらい前までは部族同士が戦って、なんと勝ったほうが負けた方を食べる人食の文化があったらしく、最初にフィジーに来た西洋の宣教師は食べられたらしい。。(10セントの絵柄は人を殺す伝統的な武器)
キリスト教が伝わって、その精神の浸透によって人食文化が無くなったとのこと。
その後1874年からイギリスに占領され、サトウキビのプランテーションをしようとしたがフィジー人が思ったより働かず、同じく植民地だったインドから労働力としてインド人を入植させ、現在のインド系フィジー人率約40%の人口比になったらしい(現地人談)。
(↑現役で動くサトウキビ列車。観光に次ぐ、フィジー第二の産業)
国旗を変えようプロジェクト
そしてイギリス連邦王国として1970年に独立、1998年にフィジー諸島共和国、2011年にフィジー共和国となったフィジー。
現在のフィジーの国旗を見るとがっつりイギリスのユニオンジャックが入っていて、「独立してるんやからユニオンジャック外そうぜ」運動が僕の滞在中に盛り上がった。
そこでユニオンジャック無しの新デザインを公募し、集めた数十の候補の中から23のデザインが選ばれて、その中から1つを国民による投票で選ぶ流れに。
「A New Flag, A New Fiji」のスローガンとともに、23の候補が幹線道路にでかでかと掲示された。
投票の方法が携帯電話から数分で簡単にできるシステムだったので、外国人でも誰でも投票が可能(いいのか...僕はウミガメのに入れました)。
結果は...?
そしてだいぶ月日が流れ、あれは結局どうなったんやと調べてみたら、なんと...
結局23のデザインもイマイチだと不評だったらしく、
「やっぱり今までのがカッコいいから変えんでいいんちゃう?」
となって完結した模様。笑
「国旗のデザインは変えんといかん!」と言ってたフィジー人上司も「いやーやっぱり今までのデザインが一番いいわあ」とな。
日本じゃ起こり得ないこういう一つ一つのツッコミどころが、幸福度世界No.1(2016/2017、WIN/Gallup International調べ)フィジーのあったかさやと思います。
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↓南米・ペルーでの生活の話につづく。
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