【海外移住の話①】 フィジー 《移住生活のリアル: 家賃からオーナーとのトラブル、車の所持事情まで》
もともとはメーカーで電子部品の営業をしていましたが、25のときにフィジーへ移住しました。
仕事で余裕がない(フィジーなのに)日も多かったですが、仕事でもオフでも、いろんな意味でフィジーを堪能。
出来るだけ鮮明に思い出しながら、住むことになった流れや各種事情、移住中に感じたことをリアルに書いてみようと思います。
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渡フィジーすることになった流れと仕事
もともとは、フィジーに行ったこともなければ知識もありませんでした。営業の仕事をしながらフィジーに繋がったきっかけは、フィジーに住んでいるある人と一緒に働きたいと思ったから。
学生時代に「世界青年の船」というプログラムにスタッフとして乗船した際、一緒に働いたYuma Nagasakiさんの在り方がめちゃくちゃ印象的で、
彼は世界100カ国を旅したあとに、当時はフィジーの語学学校のマネージャーをやっていました。
今は三ヶ国でトリプルライフを送る、フィジーの語学学校COLORSの校長&ジェネラルマネージャー。
(↑第22回世界青年の船事業より。13カ国300人での船旅)
こんな人と働いてみたいと何となーく心の底で思っていたら、なんと彼が一緒に働く右腕を探しているという情報をゲット。
すぐに連絡してオンラインで面接を受け、2ヶ月の引き継ぎ期間を経て退社し渡フィジー。全く新しい暮らしの幕開けにとにかくワクワクしてました。
現地では語学学校のカウンセラー(老若男女、年間1000人が日本から留学しています)と、現地の公立高校で留学生と保護者、ホームステイ、フィジー人教師などの間に入る何でも屋をしながら、
現地人のホームステイを計3家庭、インド系オーナーが貸すアパートに(時に彼と戦いながら笑)2年弱一人暮らしをしました。
(↑上司。みんなの母的なおばちゃん)
(↑職場の公立高校。いろいろありました)
(↑お世話になった同僚たちと)
住環境、家賃
フィジーの人口のうち、実は4割がインド系(イギリスの植民地時代にサトウキビのプランテーションのための労働力として移民)。
職場の方針もあり、最初の1ヶ月はフィジー系の家庭とインド系の家庭両方にホームステイして過ごしました。
フィジー系ならご飯はキャッサバやタロイモと野菜スープやココナッツ煮込みで、ほとんどがキリスト教。
インド系なら3食カレー(種類は豊富でおいしい)とチャツネやピクルスで、ほとんどがヒンズー教。
英語のアクセントも両者でかなり違います。
中にはプライベートでもフィジー系とインド系の仲良しグループもいるけれど(特に若い世代)、フィジー系は主にフィジー系、インド系は主にインド系と交友関係を築いている場合が多いです。
カヴァ(トンガの記事参照)は、主に男性が好んで飲みます。女性は人によりけり。僕はホームステイ時は毎晩近所のおじさんたちと飲んでました。
(↑フィジー系のホームステイ。その後もずっと仲良し)
その後、第3の街ナンディ・タウンからほど近い場所で、アパートでの一人暮らしを始めました。
(↑こんなアパートの一室。二階は全部オーナー)
(↑半年に1回くらい、オーナーの家でヒンズー教の儀式。異教徒の僕にも声をかけてくれる)
(↑最初のお隣さんはインド人夫婦とその友達。毎日会う)
(↑途中からフランス人とインド人カップルに。たまにパーティー)
変動する相場にもよりますが、家賃は月25,000円前後でした。
通勤時間や治安、アクセス、年単位で住むことなどを考えてここにしましたが、相場的には高め。
場所を変えれば月10,000円台など、もっと安いところはいくらでも見つかりますので、移住の際は広範囲にいろいろ見てまわってください。
運が良くコミュニケーション力があれば、フィジー人家庭と仲良くなって居候させてもらうこともできるかも…。
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ある日急いで家を出ようとしたところ、オーナーが「ちょっと待て!」と声をかけてきた。待ち合わせは18時、現在17時50分。
「ごめん、急いでるんやわ!」と言いつつも、「いいからこっち来いや」と呼ばれて渋々行く。
と、ちょうど敷地のすぐ外に生えてる木から、登ってココナッツを大量にとってきたところでした。
ナタで何度も、何度も打って、飲める状態にして渡してくれた。
「それすぐ飲め、そしたら身が食べれるように半分にしたる」と言われ、「時間遅れてるから歩きながら飲むわ、ありがとう」と言って家を出ました。
フィジーにいると日常的なこんなやりとりがあるたび、肩の力が抜けて緩みます。
日本だとレストランへの飲み物持ち込みには気遣うけど、フィジーでは心配にならない。ココナッツ持って席に着くと、頼む前にストロー持って来てくれた。笑
こういうのも、フィジーの好きなところ。
うちのオーナーはコミュニケーションも密でわりかしオープンで好きな人でしたが、
老朽化で温水が出なくなったシャワーの修理に130ドル出せと言われて戦ったり、家賃の値上げに簡単には屈さないよう交渉したり、友人が頻繁に泊まりに来ていた時は水道代だと言って家賃を倍額請求されたり、たまに一悶着。
長期戦で結局ほとんど言い値で払ったことはありませんでしたが、最後に退去する際にはなんだかんだお世話になったので一月分多くお支払い。
お互いめちゃめちゃ感謝して、終わりよければ全て良しを地で行った感じで、よかった・・・。
(↑オーナー夫妻と)
(↑アパートから徒歩5分のマンゴーの木。個人的パワースポット)
家賃支払いのタイミングの関係で、最後の3週間くらいを同僚が住んでいたホームステイにお世話になって、シェア・ホームステイのような感じで住みました。
このお母さんが元サッカー選手でバイタリティ凄く、まっすぐで好きでした。
同僚たちの在り方も素晴らしくて、一人暮らしを2年した後のホームステイは最幸・・・。
食環境
一人暮らしの時は基本自炊していました。
野菜や果物、鶏は近くの市場で、肉が必要な時は馴染みの肉屋で、その他はスーパーで買って帰ります。
味噌、酒、みりんなどは手に入れるのが難しいので、日本食はスーパーで売ってる醤油と砂糖で何とかするか、日本食レストランと関係性を作って調味料のルートを開拓するか、日本から持参・郵送するか。
フィジーへの郵送物は各家庭に届けられず、郵便局に取りに行く必要があり、中身を局員の前で開けさせられます。
一度実家から味噌を送ってもらいましたが、中身チェックをした局員が味噌を見たことが無くて、あの茶色い物体を食べ物だと信じてくれず、食べろと言われて食べたこともありました(後ろに並ぶ知らない日本人爆笑)。
どの国でもそうですが、基本はフィジー系、インド系の家庭両方にレシピを聞いて、現地料理をするとコスパもいいです。
また、一時うちに居候していた同僚の助けを借りながら(一人だと続けるモチベーション維持きつい)、鶏は市場で生きたものを絞めてもらって(選ぶと店主のおじさんが絞めて渡してくれる)持ち帰り、羽をむしるところから捌くようにしていました。
パック詰めのものを買い続けるよりも新鮮で、経済的で、サバイバル力が上がり、ありがたみを忘れずいただけます。
最初はYoutube見ながら捌いて2時間かかりましたが、慣れたら40分くらいに。オススメです。
移動手段と、車を持つこと
フィジーで最も大きなメインの島ヴィチレブ島ですが、幹線道路は海岸沿いにぐるっと1本だけ。
一周するバスもあり、日常の公共交通手段は安い順に乗り合いバン、バス、タクシーの3パターンです。
それらを使った移動も苦じゃないので最初の1年間はそれらを駆使して生活していましたが、同僚の勧めで2年目、車を買いました。
フィジーではトヨタのシェアがダントツで多く、当時一番人気で多かったのがプリウスとフィールダー。
これらの車なら、買うのと変わらない値段で売れるという話を信じて、新し目な中古のフィールダーを日本円で約85万円で購入。生活の機動力はもちろん倍増。
エンジンが壊れた時が一回、フィジー人と中国人にそれぞれ一回ずつぶつけられたので、結局維持費がバカにならないかと思いきや、そうでもありませんでした。
エンジントラブルで動かなくなった時は、同じ道沿いにいたフィジー人が従兄弟を呼んで助けてくれ、フィジー人にぶつけられた時も同様。
こちらが停車中に中国人の男性にがっつりぶつけられた時は勢いでこっちの責任にされそうになりましたが、なんとか顔なじみのカーディーラーのところへ連れて行くことに成功。
彼らの助けもありきっちり弁償してもらえたので、むしろ無料でピカピカに。
そして帰国時は、当時の相場で約78万円で売れたので、7万円で1年間乗り回せたことに…。日々のガス代、車検1回分(内容のゆるさにびびりました)は別途かかっていますが、それにしてもすごい。
日本の免許からフィジー免許への移行はそれなりにスムーズに行えたし、道路は広く比較的単純で、ほとんど無い信号の代わりのラウンドアバウトも含め、フィジーは運転しやすいです(僕は日本よりも運転しやすい)。
人の送迎もできて貢献できるので、車の流行りや売買の状況などはその都度変わってきますが、移住の際は選択肢の一つとしてアリです。
新聞に車の売り手情報も載っていますが、適当な人から買うとすぐ壊れる粗悪品をつかまされてしまうので、その辺の情報含め現地在住の人に助けてもらうといいでしょう。車に限らず、僕もたくさん助けてもらいました。
動物事情
ある日から、うち(アパート)に猫がやって来るようになりました。あまりにも来るから名前をつけようと思い、直感的に降りて来た名前が「ピー助」。(後にメスと発覚(苦笑)したがずっとピー助)
隣のフランス人が子猫のときに拾って来て、うちのオーナーが動物嫌いなためこっそり飼ってたらバレて、向かいの中国人にあげられたピー助。
フィジーでは日本の感覚よりペットを溺愛して可愛がることは少なく、犬なら番犬が多いし、捨てられて野良になってる動物も多い(犬も猫も、たぶん牛や山羊も)。
その現状を受けて西洋人が作った"Animals Fiji"という名前の動物保護団体もあり、そこでは獣医も常駐していて注射や治療、去勢を含めてケアされます。
ケアが一通り完了した動物は、1,500円くらいで引き取り可能です。
けれど、通勤路で見るフィジーの野良たちは楽しそうに仲間達とじゃれてたり群れてたり、逞しく人生送ってるようにも見えます。
また、フィジーには毒のある生物はおらず、狂犬病もありません。
フィジーのテニス界を背負う彼
毎週末一緒にテニスをしてた、僕よりずっと上手い相棒。
インド系フィジー人で、(彼によると)フィジー全土に5、6人しかいないテニスのコーチの1人。ある日、普段はテニスばかり一緒にしてた彼と、珍しくゆっくり語り合いました。
錦織に沸く日本とは違い、ラグビーとバレーボールが圧倒的大人気のフィジーでは超マイナースポーツのテニス界に、一生を投じる予定の彼。
「僕らの世代ではフィジーのテニスを世界レベルにすることは無理だとはわかっているからこそ、ジュニア・キッズの育成に貢献してトップレベルの選手を出すのが夢」と語ってくれました。
ラケットのグリップテープがよくフィジー全土で売り切れるフィジーで奮闘していく彼も、こっちの生活で刺激をくれていた大切な一人です。
また、フィジーテニスランキング1位の人もふらっと来るので打ち合える(日本で錦織さんがふらっと来て打ち合うのはほぼ不可能)し、首相にも会えたりするのも小国の楽しいところです。
(↑フィジーの首相&友人と)
書いていて、2年で数えきれないくらいの事件やネタがあったことがどんどん思い出されてきました...。
他の出来事はまた別の記事にて。
↓【海外移住の話②】 フィジー 《ストライクゾーンに入った時の驚異的な決断力》につづく↓