「専門性」なんてなくて、本当に良かった。
昨日、一昨日はさわらぎ寛子さんの文章講座の日でした。
6ヶ月12回のこの講座。今は去年10月からはじまった第6期なのですが、実は私は去年4月からはじまった「第5期」の受講生なのです。
去年4月の第1回目、当時緊急事態宣言が発出されていたこともあり、大阪のリアル会場での開催が中止され、Zoomでの開催になりました。
何かできることがあるはずなのに、誰かの役に立って生きていきたいのに、何からはじめて良いか分からない。自分の考えや価値を言語化していくことで、自分ができることと人から求められることの重なる部分が見えてくるのではないか。そう思って飛び込んだのですが、
初回の「自己紹介」で撃沈でした。
参加されている他の方は、既にご自身の専門やサービスをお持ちで、その価値をどう世の中に伝えていくべきかを知りたい、という感じでした。私には、みなさんのキラキラした「専門性」がまぶし過ぎて。
私は会社員歴17年。それも「総合職」なだけに、あちこちの部署を経験させられ(いや、させてもらい、でしょうけど)、これといった専門性がありませんでした。5年前に会社を辞めて、そこからほぼ無職。
Zoomのチャットボックスが「専門家」の自己紹介で埋め尽くされていけばいくほど、自分には何もないと感じてしまいました。
人と比べて勝手に卑屈になっていく自分。人に提供できるようなサービスなど何もない自分。「私はXXXです!」と言える専門性が無い自分。
次第にリアル会場での参加もしんどくなり、「来期に振り替えできるし。」と欠席が増え、
気がつくと12回中4回しか出席しないまま、6ヶ月が過ぎていました。
第6期がこの講座の最終期。振替するならこの半年しかないということで、10月から思い腰をあげ、大阪の会場で参加するようになったのですが、
落ち込むのも、底の底までいってしまうと、あとは上がるしかないようで。
開き直って色々なワークに取り組んだり、新しい知識をインプットしていくうちに、あんなこともできるのでは、こんなことも良いのでは、と少しずつアイデアが出てくるようになりました。
そして、驚くべきことに、なかば思いつきや妄想で言った私の「こんなの、どうでしょう」に、会場でご一緒した皆さんから「それ、いいですね!」「やってほしい!」「めっちゃニーズあるで!」という反応が。
何の専門性もなく「器用貧乏」な私が、今までの「とっちらかっている」経歴や、「とりあえずいっちょかみ」してきた経験が、まさか受け入れられるとは。
「プロの通訳じゃないんで。」というレベルの英語も、一般の人からのメールの対応であれば、十分に意思疎通の仲介ができたり。
「エンジニアでも、プログラマでもないんです。」なITの知識や経験も、「パソコンが苦手」な人にとっては、お助けマンに見えるようで。
「広く、浅く」は欠点でしかないと思い込んでいたのですが、逆に捉えると「様々なことに対応できる」ことに気が付きました。
私にはこれといった専門分野はないですが、好奇心は人一倍強いので、他の人の専門分野にすぐ興味が湧きます。新しいことや異なる分野について、調べたり勉強することはまったく苦になりません。
私自身の「素人目線」で、他の方の専門分野がどう面白く見えるか、その価値がどうすれば他の人に伝わるかを考え、お手伝いすることはできそうです。
他の誰かのサービスの価値を伝えるためにできることとして、私には営業職時代ややスピーチクラブで培ったスピーチやプレゼンのスキル、資料作成や情報整理の経験、ウェブサイト作成ノウハウ、英語の通訳・翻訳、などがあります。趣味で続けている「落語」でさえ、プレゼンのツカミや場を和ませる手段として使えるかも。
どのスキルもすべて「その道のプロ」になりそこねたレベルです。それでも、スキルの組み合わせで私一人で様々な側面で対応できたり、「プロに頼むには…。」という方のサポートはできたりします。私で対応できないことはプロを紹介したり、できる人と一緒に仕事をするのも良いでしょう。
専門性など何もない。何をやってもプロにはなれなかった、中途半端な私。
それで良かった。それだからこそ、いろんな人の、いろんなお役に立てるのだから。
そう感じた2日間でした。
*さわらぎ寛子さんの「言葉で仕事をつくる」講座は今回の第6期で終了ですが、4月からはバージョンアップした講座が開講予定です。
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