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【5】「本質の話」は、本質なのか? #編集者の無編集雑記

編集者のじきるうは、編集者がゆえに「ちゃんとしたもの書かなきゃ……!」と焦燥に駆られていた。それをぶっとばすため、ここでは適当な日常の発見を無編集でわーって書くことにする。過去の連載はこちら


「雑記」と書いてるのに日記ばかりを書いてるので、たまにはちゃんと雑記を書こう。まあ、日記も雑記の一部だろうけどね!

今日は「本質の話」をしよう。


「突き詰めると本質は◯◯だよね」は、本質なのか?


優秀な諸先輩方がよく言う言葉。

「本質的には〜〜〜〜」
「本質をいうと〜〜〜」
「〜〜〜が本質だよね」

本質。とても大事だ。


たとえば「読まれる記事を作るためには?」という問があったとする。それに対して、たとえば以下のような解が上げられるだろう。

「タイトルは読者が疑問を抱くキャッチーなものにしよう」
「サムネイルには引きのあるテキストを加えよう」
「読者の窓口の広いテーマを扱おう」
「SNSのフォロワーを伸ばそう」
「SEO対策をしよう」

うん、これらは本質じゃない。ただのテクニックだろう。

じゃあ本質は何かっていうと、「質の高いコンテンツを作ろう」かもしれない。というか、たぶんそれがよく言われてる。そしてボクも、そうだと思っている。


しかし、果たして本当に、それは本質だろうか?

【本質】
そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。(Oxford Languagesより)

今回の問は、「読まれる記事を作るためには?」だ。これを満たすためには、もしかすると「質の高いコンテンツ」を作るよりも、「読者の不安を煽るようなタイトルをつけて、インフルエンサーに記事を発信してもらう」ほうがいいかもしれない。(ボクはぜったいやりたくないけど)

本質は、場面や目的によっては本質じゃなくなる。とても脆いものだ。


本質 ≒ 軸?


ここまで書いてふと思ったけど、よく言われる「本質」って、ものごとにおける「軸」なんじゃないかなって。軸が定まっていることで、変なテクニックや方向性に行くことはないし、ものごとを安定して推進できる。

だからこそ、場面や目的によって本質は本質じゃなくなるし、人によっても捉え方が異なる。「本質の話」は、辞書で定義された本質とは、またちょっと違うのかなって。

文脈次第では「1+1=2」ですらなくなる。「1+1=たんぼの田だ!」って主張したっていい。それが自分にとっての ”本質” ならば。

まあ、「本質の話をするときに問を立てるのはそもそも違うんじゃないか?」と言われたら、ボクは黙って頷くことしかできないのだが。


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……バーッて勢いだけで書いたらなんだか真面目な話になっちゃったので、「引越し記念にソファを買ったら思いのほかデカくて部屋が埋まっちゃった写真」を載せてお茶を濁しておきますね。

四畳半のアパートでソファは買うな。


▼真面目なライターの話はこっちに書いてます▼


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じきるう 編集者
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