『建築家のドローイングにみる<建築>の変容 −−ドローイングの古典、近代、ポストモダン』 ⑩
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3-2-2.軸測図の近代的な使用
前節で、建築の分野ではあまり積極的に用いられなかったと述べた軸測図だが、近代に入ると急激にその使用が増加してくる。
奈尾信英は軸測図使用の増加に影響を与えたものとして『コルベール集成』(1761年)とディドロ・ダランベールの『百科全書』(1765年)を挙げており、これら二点の書物が「近代という時代の幕開けを表象するもの」だとしている(46*)。ただこの説明は、近代において軸測図の使用が増加したことの直接の原因としてはやや時代的に遠すぎ、少々説得力に欠けるように思われる。事実この後もしばらくの間建築ドローイングにおける軸測図の使用はさほど増加せず、19世紀に入る頃までは殆んどみられなかったのである。軸測図は、既に述べたように工学的分野でのみ多く用いられており、建築ドローイングとしてそれが用いられるようになるのは、建築家が機械設計や土木設計などのエンジニアリングの手法に積極的な興味を持ち始め、工学的分野に接近し始めた19世紀以降のことだと考えるべきだろう。
近代における軸測図の使用の増加に直接影響したものとしては、19世紀末に出版されたショワジーの『建築史』(1899)を第一に挙げることが出来る。その中には実に200を超える軸測図法で描かれた図が掲載されており(図13)、この本は20世紀の多くの建築家に読まれ、彼らの軸測図の使用に関して影響を与えた。
そのうちの一人に巨匠ル・コルビュジェがいる(図14)。
加藤道夫は、1913年にコルビュジェがこの『建築史』を入手していたという記録と、彼がショワジーの図版を自身が編集する雑誌『レスプリ・ヌーボー』(1921.1刊行)に転載していた事実とから、遅くとも1920年頃までにコルビュジェがショワジーの軸測図を目にし、その影響を受けて軸測図を多用するようになった可能性を指摘している(47*)。また同時代の建築家でいえば、バイヤー(図15)やブロイヤーを初めとしたバウハウスの建築家たちもまた20年代には軸測図を取り入れている(48*)。
20世紀の近代建築家たちの中でも、「建築は住むための機械である」とポレミカルに宣言したコルビュジェと建築生産の工業化・合理化を進めたバウハウスの名がここで挙げられたことも示すように、軸測図はとりわけ工学と建築との融合を目指す機能主義の建築家たちに好んで用いられた。というのもその図法は長い間機械工学に結び付けられて表象されてきており、そのためその図法を使用すること自体が、コノテーションとして工学技術を積極的に取り入れる態度の表明となりえたからである。
このように近代に入って、機能主義的建築の台頭とともに軸測図はその利用を増大してきたわけだが、本節の主題は、近代における軸測図の使用の増加にではなく、軸測図の近代的な使用法にある。すなわち建築家たちによってその図法が採用され始めただけではなく、それが透視図などの他の図法とは異なった、新たな表象を生み出すものとして捉えられ、また機械工学の分野において従来用いられてきたのとも違った仕方で用いられるようになったという事実に関心があるのである。
イヴ=アラン・ボアは1981年の論考『metamorphosis of axonometry』において、軸測図法について詳しく分析しているが、そのなかで彼は、テオ・ファン・ドゥースブルフ(1883-1931)とエル・リシツキー(1890-1941)の二人を挙げ、軸測図の近代的な使用法のはじまりをこの二人に帰している。
デ・ステイルの画家/建築家であるドゥースブルフは1923年、デ・ステイルの展示会で、軸測図を用いた一枚のドローイングを展示出品した(図16)。
『カウンター・コンストラクション――建築の分析』と名付けられたこの画面の中には、軸測図によって、直交する色とりどりの面が生みだす独特のリズムが描き出されている。「建築」をタイトルに掲げてはいるものの、このドローイングが建築的なものとはいえるかどうかはやや微妙かもしれない。この作品の主題は色彩面の構成的配置に関するところが主であり、デ・ステイル的な絵画面の構成(コンポジション)を三次元に拡張したといった性格のものであるようにも思われるので、厳密にいうならこれを建築ドローイングに含めるのには無理があろうか。しかしたとえそうであったとしても、その後の建築ドローイングに与えた影響の点で、このドローイングの意義は大きい。このドゥースブルフのドローイングにおいては厚みをもたない平面群が重さもなく空中に浮かんで純粋な幾何学的構成を作り出しており、現実世界とは異なったヴァーチャルな空間(それはあたかも今日のコンピューター・グラフィックスの空間を思わせる)を描き出している。ドゥースブルフのドローイングは、軸測図法がそのような抽象的な空間を表象することが出来るという可能性を、非常に明快な形で提示したのである。先に述べたように、軸測図はすでにコルビュジェやグロピウスによって採用されていたが、彼らはこのような抽象的空間の表象の可能性に関しては必ずしも自覚的ではなかった。
ドゥースブルフは雑誌『デ・ステイル』において「新しい建築は「前面」と「背面」を等しく描き、そしておそらく「上面」と「下面」も等しく描く」(49*)と宣言している。上下も前後もなく、等質なものとしてのこの「新しい建築」の空間を描写する上で、軸測図は理想的な図法であったに違いない。
そもそも軸測図は、要素の平行関係や垂直関係が変わらず、要素間の距離が一定のままに保持されるために、抽象的な構成(コンポジション)を表すのに適した図法である。遠近法による透視図の場合、遠方に行くに従って対象が縮小するために要素間の対称性や構成的な関係が崩れてしまい、またあるいは手前側の対象が拡大されるために後方の要素が隠れ明確な構成が得られない。そして透視図から消失してしまうこの構成(コンポジション)とはまた、ある意味で実際の建物の体験からも消失してしまう種類のものだともいえる。すなわち我々が実際にこの建築を体験する場合にも、我々が具体的なある一点の場を占めそこを中心として知覚をなす限り、軸測図のような客観的な構成(コンポジション)を得ることはできないのである。つまり軸測図は実際の建物の経験によっては得られない、抽象的な空間表象を伝達する図法であるといえる。
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46* 奈尾信英「建築ノーテーションの歴史的展開」, p.32
47* 加藤道夫「建築における三次元空間の二次元表現――ル・コルビュジェの軸測図の使用について――」, p.3-4
48* 加藤道夫「バウハウスの図的表現――その建築における軸測投象の使用について」を参照。
49* De Stijl6, nos.6-7,1924, p.78-83。コロミーナ『マスメディアとしての近代建築』p.208註(17)に引用されている。