[小説 祭りのあと(9)]十一月のこと~嫁入り箪笥(その2)~
「こんばんは……」
閉店前の店に訪れたのは、中田君だった。
入社時以来のスーツ姿が、初々しかった。
だが僕は、彼の髪の色が少し気になった。
「そのままの自分を見てもらわんと、意味がないと思ったんです」
あっ……彼の言葉で僕は自分自身を呪った。
自然に発したとはいえ、僕はとんでもないことを言ってしまった。
彼を気遣ったつもりが、彼を傷付けてきた人たちと、僕は同じことをしてしまった。
「ご、ごめんね……」
「いいんです。慣れてしまっとるんで……でも……ありがとうございます」
えっ?僕はありがたく思われるようなことなんて、何もしていないのに……
「謝ってもらえるなんて、ないですから。分かってもらったってことですから」
なんでそんなことを……彼が一体、何をしたというんだ。悪いのは僕だ。
「それに、ありのままを見てもらってもダメなら、多分その人は、そこまでの人です」
身をもって経験したであろう彼の言葉に、僕は素直に納得した。
髪を黒くするだけでも繕った自分には違いない。そんな自分が受け入れられても、本当に理解されたとはとても思えないのだろう。
真剣な思いが届けばいいと、僕は彼の背中を押した。
家具店の入口で、僕たちは様子を伺った。
僕とかおる、陽治に幸。大崎さんに母。気になっていたその他大勢の商店街の人々も、遠巻きに様子を見ていた。
こういう話がいつの間にやら広がっているのは、商店街という狭い世界の悪いところだ。
「何をしたのか、君は本当に分かっとるんか?」
善彦さんは最初から声を荒げていた。怒りは全く収まっていないようだ。
「はい。大変なことをしてしまったと思っています」
中田君の声は善彦さんの脅しにも全く屈していなかった。
「それならどう責任を取るつもりだ」
「はい。瑠美さんと結婚し、子供も産んで育てたいと思っています」
彼の言葉に揺るぎはなかった。
しかしその自信が、一見真っ当で正論一辺倒な善彦さんの怒りを更に増大させてしまったようだ。
「お前みたいな若造に何ができると思っとるんだ!瑠美の将来も全く考えず、そんな無責任なことを軽々しく言うんじゃない!」
「あなた、待ちなさいよ」
鈴恵さんが善彦さんの怒声に割り入った。
「少し自分の考えばかり言い過ぎじゃないの?瑠美の将来ってあなたが決めることなのかしら。あなたの理想を押し付けるもんじゃないと思うけど」
「お前はこいつを許すんか!?」
「だから待ちなさいって。気持ちが昂り過ぎよ。もちろん、私も心配よ。彼もまだ働き始めたばかりだし、子供を育てるだけの余裕もないかも知れない。でもやってみなければ、何も分からないじゃないの」
鈴恵さんは二人が付き合っていることを知っていた。展開の早さに戸惑ってはいたが、決して動揺はしていなかった。
「そもそもこんな見た目の奴が、まともな奴の筈がない」
「ねえ父さん。ちょっと待ってよ」
瑠美ちゃんの弟の真一くんが口を挟んだ。
「父さん、なんで見た目で判断しとるん?僕らにあれだけ差別はいかんって言っとった父さんが、そんなん言うの、おかしいよ」
彼の言葉に善彦さんは一瞬表情を変えたが、一度発した激情は止められなかった。
「何?あそこの工場が仕事場か。あそこは景気が悪いし、こんな奴しか採れないような所なんて、ろくな会社じゃないな」
中田君は下を向いてしまった。両手の拳が震えていた。
結局同じようにしか見られないという現実に、悔しさで全身が一杯になった。
そして自分が否定されただけでなく、自分を受け入れてくれた会社までも否定された。
それは彼の人生を全否定する、残酷な言葉だった。
「父さん、もう滅茶苦茶だよ。話が全く違う方向に行っとるよ。そんなこと言ったら、いくらなんでも中田さんが可哀想過ぎるよ」
真一くんはあくまでも冷静だった。
「ねえ。話を本筋に戻さない?瑠美、あなたは赤ちゃんを産みたいの?」
鈴恵さんは瑠美ちゃんの肩に手を当てて、静かに尋ねた。
「私は……生みたい……」
下を向いたままだった中田君が、瑠美ちゃんに視線を遣った。
お腹に手を当てて優しく撫でる彼女の姿が、とても愛おしかった。
善之さんは、奥で黙って膝の上の猫を撫でているだけだった。
「……分かった。ただ簡単に認める訳にはいかん。可愛い娘のことじゃけえな。今度の日曜日、動きやすい格好で家に来い。君には試験を受けてもらう。それを通過したら、考えてやってもいい」
出た。条件付きの譲歩案だ。全然分かっていない。
この条件を通過しても、要求は簡単には通らないことを商店街の誰もが知っている。
聞こえる限りのやりとりを再現していた僕の言葉に、周りは溜息に包まれた。
どこまでこの人は、時代錯誤で場違いな勘違いで突っ走るつもりだろう……
中田君と瑠美ちゃん、そして鈴恵さんが外に出てきた。僕たちは一斉に出入口から離れて、その様子を見届けた。
「大丈夫?結構無理なこと、あの人はさせるわよ。相当な覚悟で来ないと、簡単にやられてしまうと思うわ」
鈴恵さんの言葉に、悲壮な決意を固めた中田君の表情は、とても凛々しかった。
「はい。覚悟しています。全力でやり切ります。お父さんに少しでも伝わるように」
そう言って彼は東口へと歩き去った。彼の革靴の音が静かなアーケードに響き渡った。
その姿は戦場に赴く若き戦士のように見えた。
僕たちはお互いに言葉を交わさずとも、応援したいという思いは誰もが同じだった。
そんな僕たちのその思いは当日、意外な形で発揮されることとなった。
(その3 - 終 - に続く)