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すべての行動は「愛」
最近の大きな気づきの1つが
「すべての行動は、愛が形を変えたもの」
という見方ができるようになったこと。
以前は
「愛は行動で示す」
「行動こそが人生を変える」
「やる気はスピードでしか伝わらない」
そんな風に思っていて、それと同時に
「行動なくして、人からは愛されない」
「行動なくして、望む人生は手に入らない」
という考えも無意識で併せ持ち
「行動とスピードこそが自分の価値」
と捉え、行動とスピードを1番大切にしてきた。
ただそれによって
「行動=正義」
「スピード=正義」
という価値観に沿わない人を「ダメ人間」認定しては、余計な衝突を生んたり、感情的にネガティブになってしまったことも多かった。
どういう場面でこの気づきに至ったかというと、
それは、仕事中のことだった。
仕事や家事など、自分の範囲を超えて無理してしまうことによって、心身が疲弊し、不調和になってしまっている人は多い。
そういった人たちに対して
「よく頑張ってますね〜」
「エラいですね〜」
「大したもんですよ!」
など、ねぎらいの言葉をよくかけていた。
…が、先日、家事を頑張っているという方に対して
「愛情深いですね」
という言葉がふと降ってきた。
日本人という性質なのか、自分の性格なのか、どちらかは分からない。
ただ、大っぴらに「愛」という言葉を使うことに対して、正直、抵抗…というか、なんだか、気恥ずかしさがある。
でも、普段だったら感じるはずの、そんな気恥ずかしさが、なぜか微塵も感じられずに
「愛情深いですね」
という、今までの自分の辞書には載ってなかった言葉がスラスラと出てきた。
施術後も、なんだかフワフワした感覚はあったけど、次の方もいるので、そのときは、それはそれとして仕事にフォーカスすることに徹した。
で、後になって「なんで愛情深いと感じられたのかな〜?」と振り返った結果、タイトルの気づきに至った。
一見、愛に見えない行動も、その裏にあるのは、実は、その人の「愛」。
聖人君子ではないので、さすがにまだ、あらゆる人のすべての行動が「愛」とは見れない。苦笑
でも、少なくとも、その知識がインプットされたことで、目の前の人の行動の捉え方を変えられるようになってきたことは間違いない。
現実に起こることは変えられないけど、その解釈は自分の力で変えられる。
目の前の現実に対して、よき解釈ができれば、自分の機嫌は保ちやすくなる。
この捉え方が浸透し、拡大していった先に「すべての人は愛」と捉えられる世界線があるのかも知れない。
これからの自分の、さらなる成長が楽しみになった気づきだった。