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映画「ハートロッカー」から見る、爆弾処理班の手順や現代戦士のリアル
今更ながら通して初めて見た。良い作品だったけど軍人をヒロイックに結論付けない作品も個人的に久しぶりだったように思った。国内でアカデミー賞とまで評価されたのもある意味新鮮かもしれない。
あらすじとストーリー
『ハート・ロッカー』(2008年)は、キャスリン・ビグロー監督によるアメリカの戦争映画です。舞台はイラク戦争中のバグダッド。米陸軍の爆弾処理班(EOD:Explosive Ordnance Disposal)の兵士たちが、危険な任務に直面しながら敵のIED(即席爆発装置)の解除に取り組む姿が描かれています。
物語は、新しく配属された上級軍曹ウィリアム・ジェームズ(ジェレミー・レナー)がチームに加わるところから始まります。彼は大胆で、通常の手順に従わない個性的なアプローチを持ち、チームメンバーや指揮官の不安を引き起こします。ストーリーは、ジェームズと仲間たちが日々の任務を通じて経験する極限状態と心理的葛藤、そして戦場での生死を巡る緊張をリアルに描写しています。
爆弾処理の手順とディテール
映画の中で描かれる爆弾処理の手順は非常に緻密で、リアリティが追求されています。爆発物の解除作業では、防護スーツを着用し、慎重に装置に接近する様子や、リモート操作によるロボットの使用が描かれています。処理班はまず周囲を警戒し、敵が仕掛けた罠や遠隔操作による爆破のリスクを排除することに集中します。この過程で、わずかな判断ミスが命取りになる状況が強調されており、処理班の冷静さと高度な専門知識が求められることがわかります。
爆発物は街中に仕掛けられていることが殆どだった。まず処理班以外の兵士や見物人は遠くに移動させ通行を禁止する。テロリストが紛れている可能性もあるためだ。
また携帯やカメラも住人は持っているため撮影している者もあらわれる。当時は携帯が爆弾のスイッチになっていたため兵士の前でちらつかせた人間は市民でも全員疑われる。カメラを持っている彼らは万が一爆発した場合製品の宣伝としてネットに流すこともあったそう。
爆発物の検知にはロボットを使うが信管を取り除く作業から最終的な処理は手作業。これは技術革新が進む今もまだ変わらないため敵からは手段として狙われやすいとか。
現代の戦争における「テロ爆弾」と処理班の重要性
現代の戦争では、「テロ爆弾」としてのIEDが頻繁に使用され、一般市民や軍人に大きな被害を与えています。IEDは、日常的な物品に偽装されることが多く、道路や車両、建物内に設置され、非常に不確実な脅威をもたらします。このため、爆弾処理班は軍の作戦において不可欠な存在であり、迅速で精密な判断が求められます。こうした状況で、彼らの任務は戦場における民間人と軍人の生命を守るための最前線としての重要な役割を果たしています。
被害者数が多い背景
IEDの存在は、戦場や日常空間における「見えない脅威」として、現代の戦争に深刻な影響を与えています。こうした爆弾は、攻撃対象がランダムで予測不可能なため、負傷者や死者が大量に出ることも珍しくありません。こうした現実において、爆弾処理班の役割は被害を最小限に抑えるための重要な防壁となっています。
『ハート・ロッカー』は、戦争の恐怖だけでなく、兵士たちが直面する精神的な負担や、命がけの任務に向き合う人間の心理を繊細に描いており、現代戦争の悲惨さと複雑さを鋭く浮き彫りにしています。
感想
初めて見たが敢えてドキュメントタッチで見せるのもよかった。若干画面を揺らしすぎて酔ってくるがリアルすぎるゆえに思考停止でも見えるような最低限の配慮だったかのようにも思う。
アメリカ映画で軍人をヒロイックに描かない作品として見たのは個人的に「フルメタルジャケット」とか以来かもしれない。
主人公に爆発物処理班を敢えて持ってきたことも評価が高かったようだが、それだけ中東戦地における「テロ戦争」が現代戦争の象徴であったということだと思う。
作中では米軍視点だけが描かれ、戦地がどこなのか、現地の住人側の話も出てこない。それでも私たちがあのことを描いてるのだろうとすぐにわかってしまうように作られたのがこの爆破処理班の主人公であるということ。
爆破は基本的に処理しようがなく一発で多数の被害を巻き込めるため多用されていたと聞く。また住人を爆弾として巻き込めてしまうのも、人数が限られる向こう陣営の被害を少なくするための手段になったのだろうと考えられる。
現代の戦争として見えるもう一つの象徴は戦地と住人の日常の境目が殆どなかったことだろう。現地住人の子供は普通に米兵にモノを売って商売をするし、軍人も彼らのために買ってあげて自分の子供のように触れ合っている場面もある。子供に関しては爆発処理班の彼らに憧れて慕うようにもなっていた。
それだけ平和と被害が近くにありすぎて互いに境目が無くなっていたのかもしれないと思わされる。
いつも街中で爆弾が仕掛けられているのも遠隔で米軍に処理できないのを分かってやっていたのだろう。処理班の彼らも住人に被害を出さないために爆発物の破壊ではなく被害を出さないための処理を選択することで派遣されている。
それが国益に繋がるためにやっているのか、戦っていたはずの現地国の住人のためなのかもうわからない。ただ主人公はまともな精神状態から外れた極地にいき麻薬のようにこなしていたのがこの作品の結論だった。
兵士たちさえ緊迫の戦いの後でもキャンプに戻れば普通に酒を飲んで仲間たちと戯れる。
もはや戦地での出来事は明日もある仕事のようであり、主人公にとっては任務が終わっても自ら再び地に戻ってしまうほどであった。ハートロッカーという言葉もロッカーのような狭い場所で痛みが極限になってでも殻に閉じこもっている状態を表すスラングだとも聞く。
長く続くこの戦いも元々は「嘘」から始まり国民はそれに扇動されたことから始まるものだった。そこから数々ヒロイックな作品も作られたと聞くが、こうした戦地においてサラリーマン的な状態にまで行ってしまった兵士に疑問符を打つような作品がアカデミー賞まで評価されたのは新鮮味がある。
おそらくこの戦いにおいての批判は散々世界から受けたとは思うが、その中で国内の中でも包括的な役割として終止符を打とうとしたのがこの作品なのかもしれない。公開された年も遡ると丁度オバマが大統領に選ばれて、撤退が含まれるような選択でもあり終結へ向かい始める国民感情を象徴する年にもなっていたのだろう。
まとめ
『ハート・ロッカー』は、アメリカ軍兵士の視点から描かれていますが、決して英雄視するような作品ではありません。戦場での恐怖や過酷な日常、さらには爆弾処理の緊張感を通じて、観客には戦争の悲惨さと矛盾が強く訴えかけられます。この映画がヒーロー美談に終わらない点に、多くの批評家や観客が共鳴しました。そして、作品がアカデミー賞を受賞した背景には、アメリカ国内でのイラク戦争に対する複雑な意識の反映があると考えられます。
イラク戦争は、ブッシュ政権が大量破壊兵器(WMD)の存在を根拠として開始したものの、後にそれが誤情報であったと判明しました。アメリカ国民の多くは、戦争が必要であったのか、そして兵士たちが危険な状況にさらされた意味を問い始めました。特に、2008年にオバマ大統領が就任し、イラク戦争の終結を目指して軍の撤退を進める中で、戦争への反省やアメリカの責任について考え直す風潮が高まりました。『ハート・ロッカー』がアカデミー賞で評価された背景には、このような戦争の負の側面をリアルに映し出し、戦争のヒーロー像に疑問を投げかける意識が反映されていると考えられます。
この作品が象徴するものは、兵士の勇気だけでなく、戦争の本質的な悲惨さと無力感です。アメリカ社会がこの映画を称賛したことには、戦争に対する複雑な心情や、英雄物語に頼らない現実的な戦争映画の新しい価値が認識されたことが背景にあるのでしょう。