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最悪を回避する大統領の危機管理力【映画「13デイズ」】

史実と異なる部分もあるだろうが事実として核戦争を回避できた歴史もあったということは、この作品を機に現代において今一度振り返られていいだろう。


あらすじ
ケヴィン・コスナーが製作・主演を兼ね、1962年のキューバ危機の真相に迫った緊迫の社会派サスペンス。1962年10月16日、ソ連がキューバに核兵器を持ち込んだという衝撃の知らせがJ・F・ケネディ大統領の寝室に届く。大統領は直ちに緊急の危機管理チームを招集。

ストーリー

アメリカの偵察機がキューバにソ連のミサイル基地を発見したことから始まります。この発見は、ソ連がアメリカを直接核攻撃できる能力を持ったことを意味し、アメリカ政府は即座に対応を迫られます。映画は、ジョン・F・ケネディ大統領(ブルース・グリーンウッド)、国防長官ロバート・マクナマラ(ディラン・ベイカー)、そしてケネディの弟であるロバート・ケネディ(スティーブン・カルプ)ら、政権内部での激しい議論と意思決定のプロセスを描いています。

アメリカ政府は、ソ連のミサイル配備を公に警告し、軍事行動や外交的手段の間で揺れ動きます。ケネディ政権内では、空爆やキューバへの侵攻を主張する軍部の声が大きくなりますが、大統領は最終的に「海上封鎖(キューバへの海上封鎖を通じてミサイルを無効化する手段)」という中間的な措置を選びます。

米国側の意思決定と最悪の回避

映画では、特にケネディ大統領の指導力と、彼を支えた側近たちの冷静な意思決定が強調されています。軍部は強硬な武力行使を提案しますが、ケネディはそれがソ連の報復を招き、核戦争に至る可能性を懸念します。ここで重要だったのは、軍事行動による即時の勝利ではなく、外交的な解決策を模索する姿勢です。

作中ではアメリカ政府組織内部によるせめぎあいだけが最後まで描かれる。

最後まで国防省と大統領の対立構造で進んで行くが、とにかく攻撃を推し進める軍とその結末を「最悪のシナリオ」と考えて慎重に事を進めていく大統領の話に分かれる。

彼らの対立的会話ではその後のソ連の反応やキューバ、国内の危機をどこまで想定して判断を仰いでいるのかに終始していた。

象徴的だったのは攻撃を進める国防省側はその後の想定として「攻撃をすればソ連は屈服する」という前提で話を進めているということだ。彼らが進める議論は常に国内の自尊心を保つことを第一に働かせその後は何も考えていなかった。

反対にケネディはそれでは必ず報復を助長させ核戦争が国内にも及ぶことまでを想定して慎重に事を進めることを貫く。

しかし政府のような巨大組織では矛盾する規則や手続きが複雑に絡んでおり、リーダーでも手を触れられない手続きで事が勝手に進んでしまうこともある。

ソ連との外交議論している間も軍が勝手にせん光弾を発射していたり、水爆実験をしてケネディや側近が怒る場面もあったがあれも組織モデルで決定が下されてしまうという話だった。

またケネディはこのキューバ危機の一年前ピッグス湾事件によって一度政治的な失敗をしてしまった過去もあった。

ピッグス湾事件(Bay of Pigs Invasion)は、1961年4月に起こったCIA主導のキューバ侵攻作戦です。当時のキューバのリーダーであるフィデル・カストロが共産主義体制を強化し、ソ連との関係を深めていたことに対抗するため、アメリカはカストロ政権の打倒を狙い、キューバ亡命者の反政府軍を支援してキューバに侵攻させました。しかし、この作戦は結果的に大失敗に終わります。

この失敗から一年後の危機であったために「軍事作戦での指導力」を疑われるような評価になっていたようだ。

国防省からの圧力や政治的なダメージも踏まえて、国内でも複雑な要素が絡み合うギリギリの外交判断だったと想像できる。組織モデルで勝手に事が進んでしまう背景もそれらの関連はあったのだろう。

その上で作中ではケネディの側近のロバートは秘密裏に個人的に軍人と電話を取り国防省には刺激を与えない指示を伝える。

ここには合理的な組織の決定は関係なく、とにかく手続きとして「攻撃のきっかけ」が作られることは避けてほしいと頼みこむのは政府側の対応の場面として印象的である。

政府の意思決定もリーダーの意志からは離れてこうした組織行動モデルに委ねられているというのは米国の全体像を捉えるうえでとても象徴的に思える。

もちろんその中には日本とは倍以上の最悪も想定した危機管理も含まれた法や手続きが制定されていると言われているが、作中でケネディが想定する最悪はその合理性と常に異なっていたということ。

ケネディは最悪の事態をイメージできており、合理的に動こうとする軍事と違い先制攻撃によって相手は「核戦争の恐怖から何もできない」とは考えなかった。

この想定の違いによって最後まで合理的な意思決定との矛盾を生むわけだがキューバ危機の結末は最後は合理的な意思決定ではなく、この最悪の想像力におけるフルバチョフとの合致で終止符を打ったことが描かれる。

それでも事態は二転三転して最悪の一歩手前まで行ってしまったのだから、作品の演出を受け取るなら最後は偶然の連続と言ってもいいのだろう。

ソ連にも合理的な撤退という選択がまだあった時代だったことも思い起こされる。

その後のつぶさなイマジネーションが最後まで働かなければキューバ危機を撤退させる結末にはならなかったかもしれないというメッセージとして私は受け取れる。ケネディのドラマは必ず子供や家族の存在が描かれるがこの辺りの影響は他の大統領と違って大きかったのだろうか。

恐怖や疑心暗鬼は必ず事態を歪めてしまうのが分かるが、現代に起きてしまった某国の侵攻もそうした「疑い」がきっかけで今だに続き後に引けなくなっている。

あの国がそこまで追い込んでしまったのは何だったのか歴史で検証する必要はあるが、最後はどういう最悪の事態をイメージしているかがリーダーを判断するうえで市民に問われるイマジネーション力になるのだろう。



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