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ベーシックマスター - 日立のセンスが光るパソコンたち

忘れていたわけではないのですが、日本初のパソコンとされているのはベーシックマスターということになっているようです。

ベーシックマスター

ヘッダ画像にも使った初代機(MB-6880)は1978年9月に発売されました。CPUは6800。8KのROMにはオリジナルの整数のみのBASICが搭載され、RAMは4Kでした。TVモニタを使うことができ32✕24行のテキストに64✕48ドットの簡易グラフィックが使えました。当然モノクロです。キーボードを見ると「RETURN」ではなく「復改」などジャパン感が溢れています。

翌年の1979年2月にはベーシックマスターレベル2(MB-6880L2)が発売され、ROMは16Kになり小数も扱えるBASICになり、RAMも16Kに増えました(初代機からのROM交換でバージョンアップもできたようです)。ここまでの道のりは何とかApple][に追いつこうと同じような道を辿っているようにも見えますが、何せ入れ物のデザインが金属の箱から脱却しておらず、日立のセンスが現れています。

あちこちのマイコン雑誌で見かけた日立の「ベーシックマスターレベル2 II」

NECやシャープがZ-80で頑張っていたので68系ファンは日立しか選択肢がありませんでした。考えてみれば68系を採用したパソコンは(6502はたくさんありましたが)アメリカでもあまり見つからず、わが道を謳歌していたようにも思います。


そうした中で(FM-8より1年早い)1980年5月にベーシックマスターレベル3(初代 MB-6890)が発売されました。

ベーシックマスターレベル3システム - Hitachihyoron
https://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1982/04/1982_04_09.pdf

CPUには、これもパソコン初となる6809を採用し、24KのROMにはNBASICに負けないマイクロソフト製のレベル3BASICが搭載され、標準で32KのRAMを持ち、これはBASICを使わないでROMを切り離せば最大で60Kまで拡張できるものでした。画面は80(または40)✕25のテキストと最大640✕200の本格的なグラフィック表示が出来ました。テキストもグラフィックも8色のカラー表示が可能です。

【日立】 ベーシックマスター レベル3 MB-6890

と素晴らしいスペックを誇っていたのですが、このBASICなんですがマイクロソフトの開発が間に合わなくて6800用を流用したらしく、素晴らしいほどの遅さでした(タダでさえ6809はひとつの命令を実行する速度は、あまり速くないのです)。さらにビデオRAMは解像度に合わせて動的に確保されるのですが、最大解像度だと32Kのうち16Kが使われるのでユーザ領域は14Kしか残りません(2Kはシステム予約)。お気づきかもしれませんが、640✕200✕8色の独立した情報を扱うのであれば計算が合いません。これは1バイトずつコードのバイトとグラフィック/テキストのフラグが1ビット、テキストの反転フラグが 1ビットで残りの3ビットが色情報の装飾情報のバイトがある形で、1ドットずつ色が変えられるわけではありませんでした(8ドットごとです)。この複雑な情報を扱うので、押し並べてグラフィックは途方もない速度しか出ませんでした。

さらにもうひとつ。このパソコンの売りとして「ひらがな」が扱えるというのがありましたが、この「ひらがな」の為に1文字が8✕16ドットのキャラジェネが用意されており、これを表示できるビデオモードを使うためには、ビデオ信号の密度を上げたインターレス表示に対応したディスプレイを使う必要がありました。インターレス表示に対応したディスプレイは通常のディスプレイよりも残光が長いので、今度はスクロールしたりすれば見にくいということになってしまいました。もちろん通常のディスプレイでも画面は出たのですが、こんどはチラツキがかなり目立つことになります。

とにかくメモリが高いのであれば、何とか力でねじ伏せるようなハードウェアを用意したのですが、どうも実装が良くありません。筐体もApple][を意識したようなキーボードの奥に本体が格納されたケースで、6つもの拡張カードを挿せるような設計だったのですが、サードパーティ製品もあまり登場せず宝の持ち腐れ感がありました(このためケースはかなり大きめです)。

日立ベーシックマスター レベル3

テキスト中心時代の補助入力デバイスはやはりライトペンで、これを使えるようにはなっていたのですが、あまり使っているところを見た覚えはありません。また漢字ROMも増設できたのですが、漢字変換などの入力手段が用意されているわけではなかったので、デモ程度でしか活用された記憶はないです。

レベル3は、それなりのお値段だったので、ほぼ同時に今までのレベル2をチューンしたベーシックマスターレベル2 II(MB-6881)も発売されました。


この後、ベーシックマスターはレベル3をレベル2相当の価格に抑えたベーシックマスターJr. (MB-6885)を1981年12月に発売し、FM-8を迎え撃とうとしました。さらMarkII(MB-6891)を1982年4月に発売、Mark5(MB-6892)を1983年5月に発売し、生きながらえていきましたが、売れ行きは芳しくなかった気がします。それでも諦めること無く廉価版はMSXに譲ったものの1984年にはS1シリーズをリリースし、これはそこそこの人気を集めたとは思いますが、8ビットの世界はここまでで16ビットの時代になり、16000シリーズとして、その名称を続けていきました。

どのベーシックマスターもスペックを見ると素晴らしく、一定の数のファンもでき喜んで買った人も多かったのですが、どうも格好良さには欠けていましたし、使ってみると痒いところが痒いままのことが多かった気がします。

本当はレベル3の写真を使いたかったのですが、使えそうなものが見つからなかったので、元祖の写真でお茶を濁します。

ヘッダ画像は「うぃき野郎」さんの以下の写真を使わせて頂きました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hitachi_Basic_Master_MB-6880.jpg


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