なつかしのガリ版印刷
私の育った実家は、日本でも有数の大きな印刷屋さんの近くで、まわりには下請けの印刷屋さんがたくさんあり、毎日、輪転機の音を聞いていました。印刷屋さんの軒先には試し刷りで不要になった紙、それもグラビアとかが印刷できる上質な紙がたくさん捨てられていました。定期的に、それらの紙を譲ってもらっていたので、チラシの裏を使うまでもなく、いくらでも何かを書いたり工作できる紙があるという幸せな子供でした。
ちなみに印刷屋さんの出荷倉庫の前には、千切れた次に出る漫画週刊誌の端切れが、風に飛ばされて、そこいらに散らばっていて、8ページ単位で順序もメチャクチャですが、人より先にチラ見が出来ていました。
その時代は学校からのお知らせを始め、印刷に出すまでもない少部数の印刷物は、ロウ原紙をヤスリ板の上に置き鉄筆でひっかくというガリ版刷が使われていました。曲線でひっかくのが難しいので、ややカクカクした文字になることが多かったですね。ある年齢以上の方は間違いなく見慣れていたはずです。とはいえ自分で原紙をひっかいていた人は先生でも無い限り、あまりいないのではと思います。
なつかしのガリ版印刷
そんなガリ切(原紙をひっかいて原版を作ることを、こう呼んでいた)を、私も5年生の時に学芸会の台本を自分たちで作れと先生に言われ、覚えることになりました。手書きの原稿を見ながら、1文字ずつ丁寧に鉄筆でひっかいていくのです。最初はコツが飲み込めず原紙を破いてしまうことも度々ありましたが、普段は字は汚いのに、そこそこ読める文字で切れるようになりました。原版が出来上がると今度は印刷です。ベタベタのインクを広げた板の上でローラーを転がして、これを原紙をセットした機械の上を一定の力で転がしていくのです。そうすると下に敷かれたわら半紙に原紙のひっかいた部分からインクが漏れて印刷されるわけです。職員室隣の階段の下にあった狭い印刷室での思い出です。そうそうロウ原紙は字を間違えたときにはオレンジ色の液体を塗って乾かして、ひっかいた穴を埋めて、そこに「そおっと」正しい文字をひっかき直すのです。
ガリ版印刷機
中学でサークルに入ると、文化系サークルは活動内容を印刷物にまとめるということをしていました。もちろんガリ版です。既に経験があったこともあり、さっそくガリ切要員に抜擢され、先輩からガリ版印刷技術の数々を伝授されました。特に切手研は学内最高レベルの印刷技術を誇っており、4ミリ方眼を駆使して4色までのカラー印刷にも挑戦していました。ちゃんとトンボを打って、ズレないようにして4回刷るんですよ。文化系なのに「紙折1000枚」とか言う特訓まであったんです。
せっかくうまくなったガリ切ですが、青いホワイトミリア原紙(ボールペン原紙)というボールペンで書ける便利なものが出てきました。少しばかり文字が太めで鮮明さに欠けるとかはあるのですが、あっという間に置き換わってしまいました。
コピー機も青焼きや、全体に灰色になってしまうビショビショの紙が出てくる湿式コピーというのも登場したのですが、コストと手間もかかるので、原稿を印刷するのではなく、あくまでコピーが必要なもににしか使われていませんでしたね。
その後、セレンドラムの乾式コピーが普及して普通の紙にも印刷することができるようになって、原稿を印刷するのにも使われ始めましたが、1枚あたりのコストが、それなりにかかるので、一定以上の部数の場合は、リソグラフという簡易印刷機が使われました。コピー機のように原稿を専用の機械の台にセットすると原紙が出てきて、これを印刷機にセットして印刷です。インクがベトベトでトラブると、あちらこちらを黒くしてしまうという事故はありましたが、すっかり便利になり、ガリ版技術の行き場は無くなってしまいました。
印刷物を刷ることが多かっただけあって、原稿を書くことがたくさんあったのですが、書く速度こそ早くなったものの、文章の方は未だにちっとも上手になっていません。拙い文を読んでいただいている方には申し訳ない気持ちがいっぱいあります。たくさんの本を読み、たくさんの文章を書いて、この程度なので、やはり文には才能が必要だと痛感する次第(と言い訳して書き続けています)。
さて、印刷屋さんに原稿を出すようになって覚えたアレコレがDTPで、どう役に立ったのか立たなかったのかも思い出したのですが、それはまたの機会に。
謄写版
ヘッダ写真は https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%84%E5%86%99%E7%89%88#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E8%81%B7%E5%93%A1%E5%AE%A4_(7191715726).jpg から使わせていただきました。
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