私の半生 ~神童そして転落のち成功から底辺へ~
今まで、ネット上で自分の過去をさらけ出したことは無かったのですが、自分自身の気分を変えるきっかけにもなるかと思い書いてみました。
読む人によっては不快な気分になるかも知れません。ダメだと思ったら途中で閉じてください。
また、これで私を嫌だと思う人が出てくるのもしょうがないとは思います。寂しいですがそういう人が離れていってしまうのもやむを得ないと思っています。
ただ、この文章を読んで、私をバカにするのはかまいませんが、心の内に留めてください。外に出すのは控えてください。不法行為(侮辱、誹謗中傷、その他)があった場合、警告なしに法的処置を取ります。
ここまで読んで、納得いただけた方は、続きを読んでみてください。
私は小学生の頃から、テストでは常に優秀な成績を収めていましたが、生活態度の面で問題があり、先生から叱られることが少なくありませんでした。小柄で喧嘩は弱かったのですが、新しいことを考え出すのが好きで、新しい遊びを考えだすことで人気を得たりして、友人関係は悪くありませんでした。
中学時代も、テストの点数はかなり良かったものの、宿題を怠ることがしばしばありました。サッカー部に所属していましたが、運動はあまり得意ではなかったです。唯一水泳は、まだ少し得意だったのですが、学校にプールがなく、水泳の授業も水泳部もありませんでした。
国立の高等専門学校に進学した後、テストの成績は引き続き良好でしたが、ファストフード店でバイトをして女の子と付き合ったり、バンドをしたりに楽しみを感じていたことなどもあり、課題提出に遅れが生じ、4年次には課題を提出しなくなり、留年し、その後退学となりました。ギャンブルやタバコに手を染めたのもバイトを始めた頃です。ギャンブルは辞めれましたが、タバコは未だに辞めれません。背丈も伸び、女子にモテだしたのもこの頃です。また、4年次に学校で唯一の親友を事故で亡くしました。今親友と呼べるのは小学校からの付き合いのもう一人だけです。
退学後、教授の紹介で土木設計事務所に就職しましたが、プログラミングへの興味が強く、独学で学んだ後、ゲーム会社への応募を決意。データウエストという会社に採用され、Macのプログラマーとして1年半の経験を積みました。しかし、会社のゲーム部門が閉鎖されることになり、PC美少女ゲームメーカーのアリスソフト(チャンピオンソフト)に連絡を取り、面接を経て入社することができました。
Windows95が登場したばかりの時代で、英語の資料を頼りに、Windows用ゲームエンジンの開発に成功しました。5年後、私が面接を担当した中に、経験はないが滲み出る才能を感じた応募者が居ました。直感的に彼をを採用し、指導した結果、彼は迅速に学習し、私と同等以上の仕事をこなすようになりました。その後、私はプログラム部門のリーダーを務めました。しばらくは金銭的にも仕事的にも充実した日々を送っていました。この頃は自分の人生は大成功で勝ち組だと思っていました。
入社から15年が経過した頃、うつ病の兆候が見られ始め、不安感や意欲の低下に苦しむようになりました。夜遊びに耽り、ガールズバーに通い、性風俗にも手を出しました。出勤が困難になり、神経内科にも通院しだしたのですか、会社を辞めざるを得なくなり、貯金も使い果たしました。今考えるとこの頃の行動がうつ病を長引かせる結果になったとも思えるのですが、後の祭りですね。
その後、業務系プログラマーとしての転職を繰り返しましたが、うつ病の影響もあり長続きせず、10年間転職を繰り返しました。この間は苦しい事も多かったですが、かなり色々な社会経験もしました。最終的には働くことが困難になり、現在は実家で親の支援を受けて生活しています。親も経済的に余裕はなく、趣味や交友に使うお金はないため、何とかこの状況を変えたいとは思っていますが上手く行きません。
10年以上神経内科に通院し続けており、精神障害厚生年金の3級を社労士を通して申請準備中ですが、日々の生活にこれと言った充実感もなく、将来に対する希望も見いだせていません。
いまは、ネットを見たり、ゲームをして時間を浪費し、ライブ配信に参加することだけが楽しみです。
以上、お読み下さりありがとうございました。
暗い気分にさせてしまったならすみません。
同情してくれとは思いません。
ただ、本当の自分の姿を知ってもらいたかっただけです。
一種のワガママと開き直りですね。
それでも、まだ私と仲良くしてくれる方は、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。