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【心を鍛える】全人類が正月に熊野古道を歩くべき理由

1/2、1/3のお休みで、友人と熊野古道を歩いてきました。
紀伊田辺から那智までの中辺路(なかへち)約70kmの道のりを2日かけて*歩きました。

新しい年をかなりクレイジーな修行でスタートしてしまいましたが、ガチで全人類にオススメしたいと思って筆を執りました。
オススメする端的な理由は、
「感情のコントロールが上手になって、より幸せに、生産的に生きられるようになるから」です。

このnoteでは、
 1.  そもそも感情とは何か
 2. 感情と苦しみの関係性
についてお話します。
それから、熊野古道を歩く修行が感情のコントロールの上達につながる理由をお伝えします。

1. 感情は心ではなく身体で感じるもの

生きていれば、日々さまざまな感情を経験します。
攻撃的な言葉を浴びせられて悲しむ。
期待を裏切られて怒る。
嬉しい言葉をかけられて喜ぶ。

こうした感情的な経験を「心が動く」と言ったりしますが、厳密に言えば「身体が動く」と呼ぶべきかもしれません。

人体に「心」という器官は存在しません。
感情とは、実は身体的な経験なのです。イスに足の小指をぶつけて痛みが走ったり、脂っこいものを食べてお腹が重たく感じるのと同じように、感情も身体的な快感や不快感なのです。
こうした身体的な感覚と、その感覚への反応を総称して便宜的に「心」と呼んでいるだけです。

たとえば、上司に怖い顔で「ちょっと話がある」と言われると、ドキッとして心臓をキュッと掴まれたような身体感覚を感じると思います。我々が「恐怖」と呼んでいる感情は、実はこの心臓を握りつぶされるような不快な身体感覚のことなのです。

他にも、大事な面接の結果が不安で、胃のあたりがソワソワして落ち着かない不快感を感じた経験があるかもしれません。自分の考えを否定されて怒りが湧くと、腸が突き上げてくるような強烈な不快感が襲うでしょう。また、唐突に褒められたりしたときに、顔のあたりが熱くなったように感じた記憶があるかもしれません。

このように、私たちが「感情」と呼んでいるものも、実は体の中で起きている身体的感覚でしかありません。

2. 悩み・苦しみの原因は心の反応

悩みや苦しみの本当の原因は、感情にとらわれて過度に反応してしまうことです。

ヒトは情動を経験すると、ほぼ同時にその感覚に対する反応が湧き上がってきます。
たとえば、好きな人に送ったLINEが返ってこないと、不安から内蔵がソワソワするような不快感を覚えます。この不安な感情に無節操に反応しつづけると、連鎖的に不安が増幅され、どんどん不幸になります。不安を解消するために、取るべきではない行動を取ってしまうこともあります。

「LINEが返ってこなくて不安だ。自分に興味がないから返信するのが億劫なのだろうか?仕事が忙しくて返信できないのだろうか?でも自分に興味があるならすぐに返したいと思うはず。何か嫌われるようなことを言ってしまったのかも。この一言が悪かったのかな。謝りのLINEを送るか」

これは悩んでも仕方のないことです。悩んだところで状況が改善するわけではありません。ハッキリ言ってしまえば、勝手に妄想して勝手に不幸になっているだけです。まして、増幅された不安を解消するために追撃LINEを送ってしまうのは、より状況を悪化させることになります。

それに対して、感情を客観的に眺めて上手に距離を取ることができる人は、

「あ、いまLINEが返ってきてないことに不安を感じているな(おしまい)」

と、自分の感情を自覚し、ただ眺めて反応せずに流すことができます。反応しないことによって、不安や怒りがただ流れて消えていくのを待ち、負の感情の連鎖・増幅を止めることができます。不適切な行動や発言をしてしまうこともありません。

感情が湧き上がるのを止めることはできません。

情動はヒトが生命として生存・繁殖していくためにプログラムされた生得的なアルゴリズムなので、どれだけ訓練しても感情を消すことはできません。

しかし、感情に反応するかどうかは自分でコントロールすることができます。不毛な悩みや苦しみから逃れて幸せに生産的に生きていくために必要なのは、感情に囚われて過度に反応せず、客観的に眺めて距離を取れるようになることです。

先に「感情のコントロールが上手になる」という言葉を使いましたが、正確には「感情をあしらうのが上手になる」ことが、幸せへの大きな一歩です。

3. 歩くマインドフルネス

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話が逸れましたが、ここまで
  1. 感情とは実は身体的な経験である
  2. 悩みや苦しみは、感情に反応することによって起こる
ということをお伝えしてきました。

ここから話を熊野古道に戻します。
70kmの山道を歩き続けていると、さまざまな身体感覚に襲われ続けます。そしてその身体感覚の多くは不快なものです。
・筋肉の疲労感
・関節の痛み
・息苦しさ
こうした不快な身体感覚を絶え間なく経験することになります。
そして、それに心が囚われてしまうと、感覚への反応の連鎖が発生します。

「太ももの筋肉が痛い。昨日から合計50キロも歩き続けてるからだ。この状態で最後まで歩き続けられるのか?昨日もっとストレッチを入念にしておけばよかった。この坂まだ続くのか。いつ終わるんだ。これ以上の痛みはもう経験したくない。もう歩けない。立ち止まってしまいたい」

 これはさきほどのLINEが返ってこないときの心の反応と同じです。悩んでも疲労は回復しません。妄想を連ねても坂道の勾配はゆるやかにはなりません。悩んでも解決しない不安や妄想を重ねて、ひとりで勝手に不幸になっているだけです。

 苦しみの直接的な原因は、肉体的な痛みではありません、この心の反応こそが苦しみの正体なのです。肉体的な痛みは、心の反応のきっかけになっているだけです。

 端的に言えば、熊野古道をマインドフルに歩き続けるという行為は、絶え間なく襲う身体的感覚に反応せずにただ眺め続けるという行為です。

「あ、いま太ももの筋肉の痛みを感じているな(おしまい)」

と、ただ感覚を自覚するだけにとどめます。
「もういやだ、やめたい」「あと20キロも歩くなんで無理だ」
などの反応が生じることもあります。反応してしまったときも、反応してしまった自分を責めず、ただ冷静にその反応を眺めて自覚します
「あ、いま先への不安を感じたな」
と自覚すれば、その反応の連鎖が止みます。すると心の苦しみなしに肉体の痛みだけを経験することができるようになります。

それでも、どうしても苦痛にとらわれて反応してしまうときがあります。そんなときは、呼吸に意識を向けます。
呼吸を整え、肺が空気で満たされる感覚や全身に酸素が送られる感覚を観察することに意識を集中させます。
すると、不安や嫌悪などの心の反応はきれいに流れ去り、身体感覚を観察しつづけている状態に戻ることができます。

まとめると、

①歩いている自分の身体に生じる感覚を観察し、ただ「足が痛みを感じているな」「手先が冷えているな」などと自覚する
②感覚に心が反応してしまったときも、「いま不安を感じたな」「嫌悪を感じたな」などと、その心の反応を自覚する
③心の反応が止まないときは、呼吸に意識を向けることでリセットする

このように、日が昇ってから日が沈むまでぶっ通しでマインドフルネスを自分の身体に向け続けるのがこの修業のミソなのです。

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4. 何の役に立つの?


1. と2. でお伝えしたように、怒りや悲しみ、嬉しさなどの感情も、筋肉痛や関節痛と同じ身体的な経験です。そして、苦しみや悩みの本当の原因は、そうした感覚に過度に反応し、妄想を重ねて増幅してしまうことです。

熊野古道を歩きながら、湧き起こる身体的感覚をただ反応せず眺め続けることは、日々の中で経験する感情への反応を止め、客観的に対処するトレーニングになります。

たとえば日常で怒りを感じたとき、それは胃のあたりで感じる単なる身体的な不快感にすぎません。

その感覚に囚われず、ただ自覚して客観的に眺め、怒りに任せた発言や行動を控えることができれば、周囲の人との人間関係は大きく向上します。

感情の起伏が少なく、心が落ち着いている人は信頼されます。感情に振り回されて不合理な意思決定をすることがないので、仕事やプライベートもより一層充実するでしょう。

なにより、心の反応の無限ループに陥って勝手に不幸になることが減るので、純粋に幸せに生きられます。

年のはじめに、山の清らかな空気の中で心を鍛え、ついでに熊野本宮大社や那智大社で初詣もできるのは一石二鳥ですね。正月3が日は美味しいものを食べながらゆっくり家で過ごすのも素敵ですが、実りある生産的な一年のために熊野古道を歩いて心を引き締めるのもいかがでしょうか?
何より景色がきれいで気持ち良い!

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最後まで読んでくださりありがとうございます。
2021年が、みなさんにとって明日の朝を楽しみに生きられる日々の連続でありますように。


*熊野古道中辺路の行程は3泊4日が一般的とされています。休みが1/3までしか取れなかったこと、体力と
心のレジリエンスに自信のある4人で行ったことから2日の行程になりましたが、体力や山道への慣れと相談
してよく考えて行程を組んでください。

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