ランチをご一緒に 〜給食はどこで?
夏休み明け。
久しぶりの学校で緊張するチョコ。
夏休み最終日は、「あした学校行きたくないなあー」と体感100回は口にしていた。
口調は決して重苦しいものではなく、表情も暗くはない。
日曜の夜に「あした仕事いきたくなーい」とわざと少し大きな声で言う、あんな感じだ。
私はチョコがこうやって気軽に明日への不安を口にすることが出来ていることにむしろ安堵した。
無口になったり、異常のハイテンションになったりするより、よっぽど健全だ。
うんうん、何回でも言えばよろしい。
「学校行きたくないなあー」というチョコに対して、ピゴは「え?なんで?」と質問していた。
純粋に、素で。
彼にとっては、「◯月◯日まで夏休み。◯日から学校。」とカレンダーに記載してあれば「そうするもの」なのだ。
ひとりで勝手に心構えをして、勝手に気持ちを切り替える。
行きたいも行きたくないもない。
夏休みは今日までなのだから、明日は学校に行くのだ。
ただそれだけのこと。
そういうピゴを私と夫は知っているから、チョコに素で聞き返していたのは面白かった。
さて、夏休み明け初日。
いきなり給食有りの5時間授業だ。
「しかたない行くかー。でも給食やだなー。」
どうやらチョコは、給食前に早退することでなんとなく行きたくない気持ちに折り合いをつけたようだ。
うんうん、それで良い。
スロースタートが良いよ。
そうやって、初日は午前中で早退することにした。
実は5時間目、支援級担任は休み明けで緊張している子どもたちへ、シャボン玉をみんなで作るお楽しみを用意してくれていた。
チョコはシャボン玉に未練があったようではあるが、「ママとやくそくしたから」と予定通り給食前に早退した。
そこは、律儀に守ってくれなくても良かったんだけどなー。
チョコは変に真面目なところがある。
さて、2日目、ここからがこの記事の本題だ。
登校への不安は少し緩和されたようだが、やはり「給食やだなー」と言う。
偏食で少食のチョコは、もともと給食に対するモチベーションは低い。
給食が楽しみだった母とは大違いだ。
メニュー見て、食べられそうでは?と言ってみると、そういうことではないらしい。
じゃあどういうことなのかと聞いてみると、
「交流級で食べるのやだ」
とのこと。
あ、そうなの。
それなら、支援級で食べたら?出来なくはないと思うけど。
そう言うと、少しホッとしたようで、「そうする」と答えてくれた。
ここで補足しておくが、我が子たちが通う小学校は、支援級在籍児童も原則全員が交流で給食を食べることになっている。
支援級担当教員たちは、給食での支援が必要な子たちのサポートで交流級に付いていくため、給食の時間は支援級の教室は空になる。
チョコも入学当初から交流級で給食の時間を過ごしていた。
だからチョコの中には、給食を交流級以外の場所で食べる選択肢はなかったのだが、実はその可能性があることを示すと、パッと表情が変わった。
さて、そうと決まったら先生にお願いしなければならない。
こういうときこそ、おはなしメモの出番である。
上のようなメモを代筆して、支援級担任に渡すように伝えた。
念のため連絡帳に記載して根回しはしておいたが、少しずつチョコ自身が関係者に伝えられるようにならなくてはいけない。
そのための練習だ。
「こうすれば伝えられる、伝わる」という経験値を稼ぐことが大事なのだ。
2日目は、無事に要求が通り、支援級で支援担と一緒に給食を食べられたそうだ。
3日目以降も、チョコは給食を支援級で食べたいという。
しかし、支援担には他の担当児童がいて、毎日チョコに付いていられない。
すると、支援級の他のクラスには、支援級で担任と食べている子が実は1人だけいるというので、そこに混ぜてもらうことになった。
支援級の良いところのひとつは、通常級に比べてクラス間の垣根が低いところにある。
クラスは分かれていても、「支援級担任全員で、支援級在籍児童全員を指導・支援する」というチーム体制が当たり前になっている。
担任が一国一城の主ではないのだ。
こうしてチョコは、別の支援担・M先生と他クラスの児童・Dくん、毎日ではないが非常勤講師のS先生も含めて3-4人で給食を食べることとなった。
結論から言えば、これが上手くいった。予想以上に。
何より、食べられる量と種類が増えた。
チョコは偏食が激しくてなかなか食べられるものも少ないのだが、先生が少し小さめに切り分けてくれ、「チャレンジメニュー!」と雰囲気作りをしてくれて、少量でも口にできるものが増えた。
中には、「美味しい!」と開眼して、完食できるメニューにも出会えた。
そうでないものも、先生に促されることなく、自分から一口食べてみるという場面も出てきた。
そして、一緒に食べているDくんにも変化があった。
彼も偏食でなかなか食べられるものがないのだが、ある日、給食を全て完食したというのだ。入学後初めてのことだという。
チョコは先生たちとめいっぱい拍手を送って祝ったそうだ。
小学校は数週間に一度、給食当番が回ってくるが、その当番週でも支援級で食べたいといい、おはなしメモを自分で書いた。
後日、支援級での給食の様子を撮影した写真をM先生が見せてくれた。
箸を持ってS先生に笑顔を向けているチョコ。
如何にもリラックスして楽しそうな食事風景が映っていた。
さて、なぜ交流級で給食を食べたくないのか・支援級だと食べられるのか?という疑問である。
この答えは、チョコがまだ言語化できていないので、本当のところは私にはわからない。
でも仮説はある。
ヒントはチョコの今年度の様子だ。
2年生になって以降、チョコは交流級の友達の話をほとんどしない。
1年生のときは何人かよく絡む友達がいて、家でよく名前が出ていたのだが、今はそれが全くといっていいほどないのだ。
それどころか、登下校中に交流級の児童に「チョコちゃん!」と声を掛けられても、聞こえないかのように無視をする。
仲良しの友達には自分から走って向かっていくのに。
チョコが声を掛けてきてくれた子を友達認定していないことは明らかだ。
それはそうだろうと思う。
チョコのいわゆる精神年齢は、標準的な2年生よりだいぶ幼い。
趣味も幼く、未就学児向けのキャラクターやおもちゃが未だに好きなのだ。
おしゃべりは好きだが、なかなか言葉が出てこないので、かなりゆっくりだ。
これでは、交流級の児童たちと話が合うはずもないし、付いていけないだろう。
「合わないな」と思う人たちと、ご飯を食べたいとは思わないのは当然だ。
周りが楽しそうに食べていれば尚のことだ。
大学に入学したばかりの新入生がメシを一緒に食う仲間がいなくて、トイレで昼飯を食べた…なんて話は昔からいくらでもあるし、私にだって似たような記憶がある。
食事は楽しいものであるべきだ。
緊張を強いられる環境でするものではない。
リラックスして、安心できる人と、安心できる場所でするものでありたい。
もちろん、初対面の相手や緊張をともなう相手と一緒に食事をすることで進む話や生まれる繋がり、深まる仲もあるのは承知しているが、それは高度な会食だ。
普通の毎日の食事は、緊張とは反対のところにあるのがいい。
チョコにとっては、それが交流級ではなく、支援級で叶えられたというだけなのではないか。
今のところはそう思っている。
担任から、給食に関して保護者の希望はあるかと聞かれたので、私は次のように答えた。
「チョコが給食を安心して食べられるなら、どこで食べようと私たちは一向に構いません。ただ、交流級でも支援級でも、チョコが食べたいと言った場所で食べられる、その選択肢があることを保証してほしいです。」
実は今日、夏休み明け初めて、チョコは交流級で給食を食べたそうだ。
もちろん自分で希望してのこと。
どうだったかはチョコ本人が何も言わないのでわからない。
わからないが、それでいい。
全部食べなくていい。
ただ、給食が学校生活において苦痛でない時間であってほしい。
食事は楽しい時間なのだから。