幼児教育から考える、グループ授業の意義
わたしたちは二人とも「教育」に関する仕事をしてきましたが、専門分野はバラバラです。
夫は数学などの理数系をメインで指導していますが、わたしは「国語」を主に教えています。今はフリーランスという形態で働いていますが、正社員として勤めていた頃は幼児教育も担当していました。
幼児教育を学び始めた当初は「え?幼児教育?お受験対策のこと……?」というごく限定的なイメージしか持っていませんでしたが、今は自身の根幹の一つとなる大切な要素となっています。
オンラインで幼児教育を実践するには制限が多いため、カンボジアに移住した現在は行っていませんが、いつか幼児向けの授業も再開できたらなぁ……と考えています。
そのため、直接授業は行っていなくとも、「幼児教育」というキーワードについつい反応してしまうことが多いです。特に幼児期の言語習得に興味があるので、関連する書籍を読むことがよくあります。
一口に「幼児教育」と言っても、その切り口はさまざまです。新しく本を読むたびに発見があるので、本当に奥深い世界だなとつくづく思います。
さて、そんな中でも最近特に気になる内容を見つけました。脇明子さんという翻訳家・英国ファンタジー研究家の方が執筆した本の一節です。
幼児が「雨がいそいで降りょうる(降っている)」とか「お空がちぎれる」のようなユニークな発言をすることを踏まえて、下記のように綴っています。
これは、前々からわたしが気になっていたポイントでした。
幼児向けの優れた教材が世の中にはたくさんありますが、「実体験」に勝るものはないな、と強く感じています。どんなにフラッシュカードを使ってたくさんの言葉を覚えていたとしても、それは本当に「理解」していることになるのでしょうか。幼児期の学習の場は、実生活の中にこそあるべきだと思います。
詳しくは割愛しますが、わたしが担当していた授業の中でも、できるだけ多くの具体物を使って、子どもたちの五感を刺激することを常に意識していました。一見遠回りのようかもしれませんが、「答え」ありきではない問いかけをすることで、子どもたちの思考力が深まっていくのだと思います。
それから、この脇明子さんの文章を拝読して、ハッと気付かされた点がもうひとつあります。
どんなに優れた学びの材料があっても、それを共有してくれる人がいなければ「学び」として成立しない、というのはひじょうに新鮮な指摘でした。当たり前のことでありながら、あまり意識してこなかった部分です。
最近では、オンラインを中心に「個別学習」の機会が以前よりも増えました。実際にわたしたちが提供しているのも、オンラインでの個別指導が中心です。
もちろん「個別授業」と「集団授業」を二者択一で選ぶ必要は無いので、状況に合わせてバランスよく組み合わせたら良いと思います。どちらが良くて悪いという話ではありません。
ただ、この文章を読んでみて、もう少し集団で学ぶことの価値を見直してみても良いのではないかと感じました。たしかに「効率的に学ぶ」という点では、個別授業/学習の方が適していそうですが、それでけがすべてではありません。
特に非認知能力の形成に大きく関わる幼児期の教育は、個別指導だけで完結させることができません(その子に合わせて個別フォローをすること自体は良いと思いますが)。上記の引用文では、大人との関わり方を想定して述べられていますが、同年代の子たちとの集団におけるコミュニケーションも同じくらい大切です。
最近はどちらかと言うと「個別授業」がクローズアップされがちですが、うまく「集団授業」と使い分けができるようになると良いなと思います。小学校受験でも、「行動観察」ではグループ活動が取り入れられることが多いですし、やはり一対一の学びだけでは完結しませんね。
今回取り上げた脇明子さんの文章は、幼児期がメインテーマですが、さらに大きい子どもや大人の学習にも通じる部分がありそうです。
自分の机上で完結する学びだけでなく、世界や他者に開かれた学びを自分でも実践していきたいなと思っています。
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