It's better late than never. 原爆と終わりのないその影響に目を向けるきっかけ。
思えば、私の母(88歳)も原爆を目撃した人だ。
投下当時、広島市内から遠く離れた田舎に暮らしていたので、「被爆者」の症状はなく、「目撃者」であり続けてきた。
2歳下の妹と外にいた9歳の母は、細かいことは忘れてしまったそうだが、その並外れた「眩しさ(ピカ)」とドーンという体感は今でも覚えている、とのこと。
二十歳になって、東京に出てきてからは、無我夢中で生きてきた。
でも、歳を取って、広島在住の妹と毎日電話で話すようになってから、子供時代のことを沢山話すようになった。
妹:「うちらも黒い雨浴びたよね。覚えておらんの?」
母:「この子(妹のこと)は空想してるよ。ニュースの見過ぎよ。」
「黒い雨」の話になると二人の話は食い違う。
広島にいると「原爆」の爪痕や歴史は文化の一部になっていて、叔母にとっては、被爆者手帳に認定される、されないは日常の会話に出るのかもしれない。原爆の症状もなく、東京に住んでいる母には、とても遠い世界の話のようだ。
側で聴いている私は、果たして二人は「黒い雨」を浴びたのか?彼女たちが暮らしていたその地域に「黒い雨」は降ったのか?知りたい、と思っていた。
悪気はなくても、叔母は様々な情報が絡んで過去を作り上げてしまったのか。または、母が「黒い雨」のことをすっかり忘れてしまったのか。これまで、謎のままだった。
最近のニュースで、その曖昧さにやっと科学の判別ができるようになったとのこと。地層に含まれる放射線セシウムと大火災で巻き上げられた微粒炭の量を計測するというものだ。広い地域をやるには大変な労力がかかるから、時間はかかるだろう。
これは、ちょうど、日本被団協のノーベル平和賞受賞の1ヶ月前のニュースだった。79年経った今も、被爆地は原爆と共に生きているなぁ、と感じたばかりだった。今回の受賞は遅すぎるくらいと思うが、世界政治のしがらみで、無視されてきた団体なだけに、それを気にしていられないほどの危機感を感じる。It's better too late than never.
Image by me at Hiroshima Peace Memorial Park: This relatively small one is called Little Boy which was dropped over the city of Hiroshima and killed over 140 000 people. A few days later, Fat Man was dropped over Nagasaki and killed over 80 000.