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肩ひじを張らない/詰めすぎないこと

こんにちは、カズマです。

外は降雪の真っ最中です。


1時間前に買い物から帰ってきたばかりで、それから昼寝したあとにベランダから外を眺めたら真っ白になってました。


今回のテーマですが、

・肩ひじを張りすぎないこと
・詰めすぎないこと
・楽しさがないと続かない

ボクなりの意見とこれまでの体験を交えて綴りたいと思います。

あくまでもボク個人の見解なので、話半分程度で捉えていただければ幸いです。



1 過度に詰めすぎない

たとえば学習やスポーツほか、何かを継続する際に無意識の内に自分を追い込みすぎたり「1から100まで詰めこんでいかないといけない〜」といった強迫観念に囚われてる人っていませんか?

特に受験勉強だったり資格をとるための学習、スポーツ関連の大会に出場する目的でオーバーワークな練習量を自分に課せる、またはYoutubeやPodcastといった個人発信をしてる人にも共通すると思います。

自分の場合はYoutubeやnoteで何かを書くとなった際に「1から10まで丁寧に書かないと〜」ていう感じの強迫観念に似たようなものに囚われては過度にハードルを高くしてしまいがちな時もあります。

特にYoutubeの場合はカメラに向かう前にヘアスタイルをセットしたり身だしなみを整えたり服装もそれなりにいいものを着ないといけない、一字一句丁寧に話さないといけないといった所謂「完璧思考」に囚われがちな人っていませんか?

※特に日本人の場合は国民性からして過剰なまでに外見にこだわる人が多く、異常なまでにコンプレックスを抱く人も一定数いるかと存じます。

もちろん気持ちはよくわかります。ボクも未だにカメラの前で何かを話す時は無意識の内に緊張したり何だか肩ひじが張るような気分になることもあります。(前まではよく髪型をセットしたりホコリがついてないか等、撮る度に神経を使うことが多かったですが、近年ではニット帽を被ることが多いので寝癖をなおす手間が省けたので、めっちゃ快適です。)


しかし、前述の隅々まで丁寧にしないといけないだったり、完璧なものにこだわってばかりいると継続する上でのハードルがどんどん高くなり、精神的にも続けるのが凄く億劫になったりするんですよね。(多分それで続かない人も大勢いるんじゃないんでしょうか。)


いずれにせよ他人の評価ばかり気にしてたら何も行動しなくなる、控えめに言って消耗するだけです。


何かをやる度に「なんかしんどいから今日やらなくてもいいか」「仕事終わりでめっちゃだるいから今日もできそうにない」「もっと万全な状態でやらないといけないから、今回はやめとこ」といった感じで難癖つけてばかりで何もせず、ズルズルと時間だけが過ぎていく。そうしてる内に何も積み重ねず、何も続かない→「結局今日も何一つやらなかった、明日でいいや」という負の連鎖に陥る人も大勢いることでしょう。※自分もその一人です….


ぶっちゃけ自分もその時の気分に流されやすい傾向にあるので、中途半端にネットサーフィンをしたり気分が移り変わるなどの影響でついYoutube動画やTwitterを眺めたりしては「あぁ〜一日の時間を無駄にしてしまった😞」とうい結果になってしまったパターンは何度もあります。


環境に左右されるのも大きな原因かもしれませんが、恐らく多くの人々はそんな簡単に環境を変えれないという人も一定数はいるかと存じます。

※物が少ない人やリモートワーク等の都合で場所に縛られずに働ける人は割と容易に移動できるかもですが、業種によっては個人の意向で簡単には変えれない。


そこで自分なりに思いついたのは、

最初のハードルをできる限り低くすること。

無理やりハードルを高く設定したところの、続かなければ何の意味もありません。三日坊主どころか10分も持たないです。

ジョギングで例えるなら、いきなり猛ダッシュすると息切れしますよね?
それと同じようにペース配分を自分なりに調整しながら走るのが効率的なので、よって詰め過ぎるやり方はオススメしません。

特に何か新しいことを始めるとなった際は最初のハードルをぐっと下げるようにしてます。

例でいえばnoteを始めた当初は自己紹介(自分の簡単な経歴や興味・関心のあること)をざっくばらんに提示することを綴ってますが、これが最初の一歩にもなったし、正直恥ずかしい部分もあればプライド的なものが邪魔をして中々公開に踏み切れなかったのもあるけど、今となっては思い切って公開して良かったなと思います。多少なりとも共感してくれる人も少なからずいるわけですし、寧ろ自分を明かすような感じで書いたことでコメントを頂いたり、それが自分にとって励ましになったこともあります。

Youtubeも最初は撮り方と編集ソフトの操作と練習も交えながらやってました。ただインプットするだけでなくアウトプットする機会(得た知識を表に出す)を繰り返す。いずれも自分のペースで細々と続けてましたが、おかげで昔よりはだいぶ動画のクオリティが上がりました。

やっぱり好きなことだったり興味関心のあることを交えた方が楽しさ&継続もしやすくなるんですよね。おかげで今まで知らなかったことを知る機会が増えたり、気づきもしなかったことに触れたり違う視点から物事を考えるキッカケにもなる。

一日の中で10~20分だけやる、SNSを眺めてる時間を別のことに変える、なるべく少ない手間で取り組める時間を確保する。

こういう感じで最初に何かをする時はちょっと足を上げる感覚で一歩先の地面に踏み入れる位の気軽な気持ちで始めることがとても大切だと今なら自信を持って言えます。



2 楽しさも交える


本来勉強というのは知的好奇心を満たすことだったり、自分にとっての知恵を身につけるための手段でもあります。知らないことを知る喜びだったり、その先には今まで見えなかった世界を知ることができる。これらの経験を積み重ねることで純粋に学ぶのが楽しいという好奇心が生まれます。

逆に、今までの学校教育において勉強が楽しいと思ったことは一度もありません。全くありません。現代における日本の学校教育を否定はしませんが、ボクは終始合わなかったです。※もし自分に子どもがいたとしたら日本の学校には絶対行かせない。

黒板に書かれたことをノートに写すだけの作業だったり、漢字を書く時だって10回も20回も繰り返し書く作業だって何の役にも立たなかった。


短期間で詰め込むような勉強をしたところで結局のところ人は学んだ内容を忘れるんです。特に漢字ドリルを使った学校教育における昔ながらの学習方法だって全然効果はないと思っていて、短い時間の中で無思考に書いて覚えるよりも、新聞や雑誌を読むなど日常の中で広く浅く、大量の漢字に触れる方が覚えやすいんですよね。無理やり勉強をやらされたり、威圧的な指導で書かせようとしても生徒にとっては何のメリットもありません。

「覚えなきゃ!」「ちゃんとやらなきゃ!」「けど何のために勉強するんだろう」ていう風に勉強の目的を自身の頭で見いだせなかったり、無理に覚えようとしても脳が拒否してしまうだけ。それだとただ苦しいだけですし、勉強そのものに対する嫌悪感を募らせる。それだとその子にとってもいい影響にはならないですよね。

※今振り返れば高校時代の数学教師(当時の担任)は威圧的な言動がひどく目立ってました。解き方がわからないようではダメだ等、終始ダメ出しのオンパレードでめっちゃ嫌われてたのを今でも覚えてます。まぁボクもその当時の担任教師は最初から最後まで「反面教師」。いわゆる尊敬に値しない人間として見てたので、卒業式の際は完全にガン無視しました。(もう二度と顔も見たくないです)


今となっては10代の頃よりも社会人になってからのほうが学ぶことは多く、Youtubeでもたくさんの勉強法がUPされてるので、今の人達はかなり恵まれてると思います。何のために学ぶのか、何の目的で今自分はこれを勉強するのか、学ぶ目的があることでモチベーションも向上するので、学ぶ目的とその先のゴールを見えるように設けることは今後の人生において非常に大事な要素となります。



英単語だってWEBニュースや看板だったり、好きな映画や海外のYT動画で興味関心のある話題を扱ってるものを繰り返しみてると次第に頭の中に定着しやすくなります。


3 まとめ

・肩ひじを張りすぎない
・息をする感覚で続けやすい仕組みを設ける
・楽しいと感じるものがあると続けやすい
・最初は一気にハードルを下げる
・短期間で一気に詰め込みすぎない


何事も自分なりに楽しいと感じる要素がないと続かない性分なので、この辺の取り組みは人それぞれだけど、ボクはある程度楽しいと感じる要素を交えてこのnoteだったりYoutubeやカメラ関連の情報・または英語学習の目的も交えて海外のサイトを見るようにしてます。ある程度は楽しい方が心理的ハードルも下がるので、継続しやすいです。


上記はいずれも無料で閲覧し放題。

なるべくゼロ円で学べる方法でやった方が長期的にみてお金もかからないし、継続する上でのコストもぐっと低くなるので、お金がかからない面でみれば比較的どなたでも始めやすいんじゃないかなと思います。


あとは「やるか、やらないか」


やる人はやる、やらない人は難癖つけて結局やらない。


どちらを選ぶかは自分次第。


というわけで今回はこの辺で終わりにします。

考えてることを文字に起こしてスッキリさせることも兼ねて、ありのまま綴ってみましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。


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カズマ
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