アメリカに着いた初日にNYの洗礼
夫婦関係最悪の中、半ば強引に夫の後追いで渡米した時の事を書こうと思います。(渡米までの事はこちらに書きました。→「夫婦関係最悪の時のアメリカ行き」)
これが負の連鎖の極みとでも言いましょうか、、、、。今までも数々の負の連鎖が続いていたのですが、さらにこれでもかと言わんばかりに負のスパイラルが加速した時のはなしです。
2歳前の男の子のワンオペ育児しながら死に物狂いで、アメリカへの引っ越し準備をして、やっとこのバタバタから解放されるー!!!向こうに着いたら当分観光気分でゆっくりするんだーーーーーーーい!!!!
と思っていた私、、、、。
そううまくは行きませんでした。
前乗りしていた夫に迎えに来てもらい(夫婦関係は最悪だったのでかなり迷惑そうでしたけどねw)夜の10:00くらいに住む予定のアパートに到着。
はぁーーーーーーー。やっとゆっくりできるーーーーーー!!!!
と思った瞬間。
下のフロアから「ドンっ!ドンっ!」
床を突き上げるような音が聞こえたのです。
私「何これ?」
夫「下の人がうるさいって言ってるんだと思う。だからあんまり走ったり音立てないで歩いて。」
私「えぇーーーー?!こんな小さな子供に無理じゃない?」
夫「NYはカーペット敷いて防音対策するらしいけど、うちにはカーペットがまだ無いからうちが悪いんだよ。」
夫はあくまでもうちが悪いから私と息子に細心の注意を払えという感じ。今思えばかなりこれもおかしいんだけどね。
そうこうしてるうちに、家の端から端まで駆け回る息子、、、、。
私「あ!走らないで、歩いて~」
すかさず、また下から「ドンっ!ドンっ!」
まるで息子が通るところを下のフロアで追いかけまわしているように床を突き上げてくる。
さすがにこれには恐怖を感じて、
私「下の人変なんじゃない?いままでこういう事あった?」
夫「引っ越し業者が来た時にうるさいと何回か注意された。」
アメリカに来たばかりで何が常識なのかもわからない私達、、、。
夫には私たちが気を付けて歩けばいいといわれるし、1歳の息子にそれはなかなか通用しないし。どうしよう、、、、。
途方に暮れていたら、いきなりドアのチャイムが鳴る。
夫がドア穴から覗き込んで確認すると、下の住人の男性が来たことが分かった。
夫がドアを開け対応すると、
怒りを抑えているかのように、何か訴えている。
多分、うるさいからどうにかしろ的なことを言っていたんだろうと英語が分からない私でもすぐに察しが付く。
夫が慣れない英語でsorryを連呼している。
気が済んだのか男性は帰っていった。
息子にも走っちゃいけないことを伝えて何とかやり過ごしていたけど、ただ歩いているだけでもうるさかったのか、
また30分後その男性は来た。今度はかなり怒りをあらわにしている。ドアをドンドン叩いている。ドアを開けたら殴れるんじゃないかと思うほどの恐怖だった。
ドアを開けるかどうか躊躇していたら、今度はもう一つのドア(古いアパートは2つ玄関がある家があります。)を激しくドンドン叩いている。
これはドアを開けないとずっと叩いているのだろうと思い、夫がドアを開けた。
明らかに感情を露わにめちゃくちゃ怒っている。英語が分からない私が聞き取れたのは「ファ〇ク」という言葉だった。
一通り罵声を浴びれられ、帰っていった男性。殴られないだけあの時はマシだったな。
夫「もう君達帰った方がいいよ。」
私は恐怖と疲れと、まるで私たちが来たから悪いとでも言いたげな夫の態度に泣いたのを覚えている。
家にはもう居ることが出来ないと思い、次の日は近くの公園に早朝から出かけて、息子が昼寝をするまで家には戻れなかった。
そして、昼寝が終わったら外へ行く、、、。アパートを出る時も下の住人は私達が出るのを見計らっていたように出てきて、「マジで静かにしろ」的な事を言ってきた。アパートの外を出てふと上を見上げるとその住人が窓から私たちを見下ろしていた。恐怖でしかなかった。
昨日来たばかりの言葉も分からない異国の地で辛すぎた。
幸いにも、夫のNYに住む知り合いのハーレムにあるセカンドハウスに仮住まいとして住まわせてもらうことにななり、私と息子と実母(日本から一緒に来てくれて2週間滞在予定)で住むことになった。(仮住まいがペット禁止だったので夫と愛猫はトラブルがあったアパート)
母も海外旅行の経験はほぼ無い。英語も勿論話せない。
海外経験が浅い私達だけで、いきなりハーレムのど真ん中に住むことになったのだ。
こんなトラブルに巻き込まれて、母としても災難だったと思う。
だけど、これからアメリカに住もうとしている私としては絶望的でしかない状況で、母にかまっている余裕はなかった。
母は、せっかく来たからには観光したいから、ツアーの予約を取ってくれだの、ミュージカルが見たいだの、いろいろ言っていたが、その時の私にとっては雑音でしかなかった。
私は、トラブルがあったアパートの契約解除をすることと、新しいアパートを探すことで必死だった。
最終的ににっちもさっちもいかなくなって弁護士を探すことになった。片っ端から、日本語が話せる弁護士事務所に連絡して、右も左も分からないまま、ミッドタウンに息子を連れて会いにいった。
夫は夫で、慣れない環境での仕事も大変な中、トラブルも重なり、体力的にも精神的にも辛かっただろうと思う。
そんな中、私たちの関係も最悪。そして2歳前の息子の子育て、、、。
地獄中の地獄だった。
書いたらきりがない程、この時の地獄っぷりが半端ないので、この辺にしておきます。笑
この地獄絵図みたいな中でも、終わりはあるんですね、、、。
一か月、いろんな意味で発狂しながらハーレムで過ごして、やっと本拠地が決まり、引っ越しをしました。問題のアパートもなんとか契約解除しました。
この件に関しては全て、何人もの知人のサポートがあって乗る超えることが出来たのです。
なにが辛かったかって、
身近な家族とは協力し合うことが出来なかったことです。
母とも、夫とも。
どんなトラブルの内容よりも、身近な人と協力し合えない事の方が、精神的苦痛が半端ないんです。
何かがあった時、一番近しい家族と協力し合えないなら、一緒に居る意味がないと本当に思いました。だから、その時、夫とは遅かれ早かれ、離婚になるだろうな、、、。と思っていました。
夫だから、母だから、家族だから、一緒にいるんじゃない、、、
人として、好きで尊敬できる人と一緒にいる。
その人の幸せを願える人と一緒にいる。
この方が自然ですよね。
今、私は夫と一緒に暮らしています。
あの頃の私からしたら、
今、私の目に映る景色は奇跡としか言いようがないのです。
次回は、本拠地が決まりやっと生活が落ち着き始めた頃、NYに住むレイキヒーラーさんと出会った時の話を書こうと思います。
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