自己肯定感について考えてみる~低くてもよくない?~
育児本やら啓発本やら・・・
自己肯定感を高める為の方法論がたくさんある。
まぁ、まともに読んだ事は無いのだが。(笑)
何故かと言えば、自己肯定感を高めなきゃいけない!と思った事がないからな気がする。
何だか自己肯定感が低いのは悪いと言わんばかりに。
「自分なんて・・・」と思う事が悪いとは思えない。
悪いのはそう思っているのに、何も行動しない事ではないのか?と。
これは私の56年間で出会いで感じた事なのだが。
自己肯定感が低いのかな?と感じる人たちは、優しい人・真面目な人が多いな~という印象。
ありのままの自分を認める事が出来ないからこそ、「自分なんて」という謙虚な気持ちを持っていて、だからこそ他人に優しく出来るのでは?と。
「自分なんて」と思い続けているから、真面目に色んな事に取り組み、それでも「まだまだ自分なんて」と更に努力する。
真面目過ぎて心が壊れないか・・・心配になる人もたくさんいる。
一般的にみて恵まれた素敵な家庭に育った人もいるが、私の知る優しい自己肯定感が低いと思われる人たちは、何かしら家庭に問題があったケースが多い。
不倫で出来た子どもであり、認知されずにシングルマザーで育った人。
幼児の時に親に見捨てられ養護施設で育った人。
喧嘩ばかりしている両親仲が最悪な家庭に育った人。
私と似た毒親…子どもを褒める事なく否定し、自分の思い通りにならないと罵倒する親に育てられた人。
自由過ぎる両親で好きなことばかりしている為に、お金は出してくれるが生活面はほぼ放置されていた人。
教育者として色んな本まで書いている親だが、我が子には無関心で愛情不足で育った人。
そして、ほぼみんなが自己肯定感に関しては高いとは言えない。
でも、みんな優しくて素敵な人ばかりだ。
自分が辛い思いをしてきたからこそ、その思いを他の人にさせない様に気遣える人たち。
辛い思いをしている人にそっと寄り添える優しさを持っている人たち。
自分なんて生まれてこなけりゃ良かった…なんて思った事もあっただろう。
最初の方に書いたが、低いのが問題なのでは無いと思う。
「自分なんて」と思い、生まれてきた環境などを恨み、何もせずにただ嘆いている事が悪いのだと私は思っている。
私の知っている上記の人たちだって、親を怨んだり、周囲を妬んだりもしたと思う。
それ以前に1度は「自分が悪いから」「自分のせいでは?」と悩んで、自分を否定もしたと思う。
私含めて、それぞれにどこか心に歪みは生じていて、それで生き辛さを感じる事もあるだろう。
その生き辛さを受け入れるのも簡単では無かったかもしれない。
受け入れる事が出来た後も楽に生きていける訳ではないし。
受け入れる・・・これが自己肯定感なのか?
いや、世に出回っているものをざっくり見てるだけだが、「ありのままの自分を肯定」と言いつつ、ポジティブな言葉を使おう!とかマイナス思考をプラス思考にする為には!とか。
結局は明るく元気で前向きな人間になる事を勧めている様に感じる。
確かに人の悪口や置かれた環境の愚痴ばかり言っているのがいいとは思えない。
でも、吐き出す事で救われる心もあって。
私が良くないな…と思うのは、同じ愚痴ばかり何年も何十年も言い続けているだけで、自分は何も動かない事では?と。
これは実母の話。
ある意味、ありのままの自分は受け入れていると思われる実母。
「こういう性格なんだから」と自分の事はよく分かってはいる。
・・・しかし・・・
そこでずっと止まっているのだ。
「こういう性格なんだから」の後に「仕方ない」が付き、何もしない。
そりゃ何も変わらん。
私がもの心ついた頃から、ずっと同じ愚痴を言い、ずっと周囲の悪口を言っている。
そして、「自分はこういう性格だから仕方ない、いいの」と言っている。
だからアドバイスというか、「こうしたら?」「こう考えてみるのもありじゃない?」という私や他の人の言葉に耳を傾けない。
全ては「こういう性格」で片づけているだけ。人の助言をきけないのも「頑固な性格だから」だそうだ。
これは自己肯定感で言えば、高いのか低いのか?どっちになるんだろう?と考える。
私には分からない。
「ありのままの自分を肯定してあげる」という意味で言えば、めちゃくちゃ高いだろう!と思ってしまう。
そんな人を間近で見てきた私としては、別に自己肯定感なぞ高けりゃいいってもんじゃないだろう、と考える。
それなのに、「自己肯定感の高め方」とか「自己肯定感が高い人の特徴」などというタイトルが目立ち、自己肯定感が高い方が良い!という方向なのが私には理解出来ない。
自己肯定感が低いと感じている優しく真面目な人たちが、そんな内容を読む事で更に追いつめられる気がするのだ。
「こんな自分じゃダメだ」と頑張り、それでも自分を認められずに悩み、更に自分をダメだと思いこんでしまう。
ありのままの自分の肯定する・・・100%肯定した時点で、その人の成長は止まるのでは?
やはり「肯定」という言葉に問題があると私は思う。
そう考えると「自己肯定感」なぞ低くても問題ないのではないか?
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