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『主体性』を育む
こんにちは!
全然関係ないですが、Canvaさんのテンプレ可愛すぎません?
このサムネはあのCanvaさんから引っ張ってきました。みなさんもぜひ使ってみてくださいね👍
さて、今回は
現在僕が1番気になっていることについて書いていきたいと思います!
それは、、
『主体性』ってどうやって育まれるの?
という疑問です。
1)背景:高校時代に将来の夢とかありました?
![](https://assets.st-note.com/img/1654149365987-WihwC1wZyx.jpg?width=1200)
そもそもなぜ僕が『主体性』に興味を持つようになったかの背景から話させてください。
これは僕がまだ高校生の時、
そのころはまだPCが得意ってだけでなんかオタクっぽいと言われてたんですね。(今思うとすごいな笑)
友達の1人がPCが得意で、彼は将来ゲームを作りたいって言ってたんです。
それを他の誰かが聞きつけ、馬鹿にするわけです。
「ゲーム作りたいなんて夢見んなよ。笑」
その時、僕は何もいうことができませんでした。
ですが、頭の中はモヤモヤと??だらけです。
そもそもなぜ夢をみてはいけないのか?
夢を持つことはカッコ悪いことなのか?
自分には夢があるか?(→ない)
あったとして、誰かに胸を張って言えるか(→言えない)
自分にはできないことをしている彼はなぜ馬鹿にされているのか?
今ではそれが同調圧力やただの僻みだったのかも知れないとわかっているのですが、
ではそもそもなぜ夢を持てなかいのか考えるようになりました。
高校教員をしていた時も「わからない」「特にない」と言われることが圧倒的に多かったです。
そんな考えを持ちながら前職に就き、海外の生徒と話す機会が増えました。
彼らは自分の夢や目的をスラスラ話します。
「わからない」と言われたことはおそらくないと思います。
これはいよいよ不思議だぞ、と思うようになり、
今に至るわけです。
「なぜ、日本では自分の夢や好きなものが言えないのか?」
「どうすればそれを持てるのか?」
『主体性』という言葉は
自分で目的や目標を立てて、それに向かって行動することができる性質だと聞いたことがあります。
もちろん行動を起こすことも重要なのですが、
そもそも自分の中に湧き出るものがなければ主体的にはなれません。
その原動力になるもの、
それはなんなのかを知りたいと思うようになったのです。
2)仮説:選択させ、その結末を見せる
![](https://assets.st-note.com/img/1654149332973-pA4jQk6Yx3.jpg?width=1200)
これ、もしかしたら既に論文とか出てるのかも知れないので、もしご存知の方がいたらぜひコメントなどで教えてほしいです。
僕が色々な方のお話を聞き、自分の経験上もそうなのではないかと考えている考えから書いていきたいと思います。
「選択」と「結末」を与える
生徒の中に「やりたい」「好き」といった興味関心を持たせるために何が必要なのか、一つの仮説として、「自分で選ぶ」経験と、その選択によって何が起きたのか「結末を見せる」経験が必要なのではないかと考えています。
そもそも日本の学校では子供たちが何かを選べる機会がほとんどありません。授業選択、課外活動の選択、授業内でも何かを選ぶという経験はほとんどありません。
与えられたものを行うという経験に慣れすぎているため、自分で選ぶという経験が圧倒的に少ないです。
その結果、「あなたは何がしたい?」「何が好き」と聞かれると途端に困ってしまいます。
「そんなこと聞かれても、、」
まずは選択肢を与えてみることが大事なのではないかと思います。
やってみるとわかるのですが、完全にフラットに選択肢を与えるのは結構難しいです。どうしても「こっちの方がいいけどなぁ」と思ってしまい、無意識に誘導してしまったりします。笑
ですが、僕の感覚ですが日本人はこういった誘導をとても敏感に感じ取ります。「あ〜多分こう言って欲しいんだろうな、こっちの選択をして欲しいんだろうな」と読み取るスキルに長けています。
そのせいでなかなか自分の判断だけで選択をするという経験値を積むことができないのだと思います。
そして、誰かの意思や誘導が決め手となって選ばれた選択は、どうしても他人事になってしまいます。
「自分で選んだわけじゃないし」
そうなると、そもそも自分で選んだわけではないので「やめる」ことも自分でしなくなります。
日本は継続を美徳とする意識が強い気がするので尚更です。
まずは、自分で始め選択と自分で終わらせる選択をさせる必要がある気がします。
そして、この終わらせるという点に関わってくるのが、
選択の「結末を見せる」というポイントです。
その結末はハッピーエンドでもバッドエンドでも良くて、
その結末が自分の経験値になるようにしてあげることが大事です。
ここで、やってしまいがちなことは
大人がその結末に意味づけをしてしまうことです。
失敗した時に「ほら、だから言ったじゃん!」「失敗だったね」と言った声かけをしてしまったり、「こっちにしておけばよかったのに」と言ってしまう。
そうすると言われた方は「自分の選択は間違いだったんだ」「自分では選択しない方がいいかも知れない」と思ってしまいます。
それでは本末転倒ですよね。
結末は見せるけどそこに一方的に意味はのせない。
こうすることで、自分なりに経験値を積んでいき、
何が「好き」なのか「どうしたい」のかを選べるようになってくるのではないかと思っています。
「教えない授業」山本先生の本を読んで
山本先生の『「学びのミライ地図」の描き方』に、こんなことが書かれていました。
曰く、子供たちの「やりたい」を引き出すためには時間がかかると。
子供たちの「やりたい」はどこにあるかわかりません。
それは本人にもまだ見つけられていないものなので、見つかるかは運次第なのでしょう。
だからこそ常に
「どんなことをしたい?」
「どんな授業にしたい?」
と聞くそうです。
一長一短ですぐに答えが出るものではないのでしょう。
ゆっくりと時間をかけて、何度も何度も問いかけることで、
少しずつ自分の選択を選べるようになるのかもしれません。
オランダ教育に詳しい三島さんの話を聞いて
先日、noteでも記事を出されているオランダ教育に詳しい三島さんとメッセージでやり取りをさせていただく機会がありました。
そこで三島さんに「オランダでは子供たちの『好き』をどのように引き出しているのですか?」と伺ったところ、とても丁寧にお答えをくださりました。(本当に感謝です🙇♂️)
やはり大事なのは「選ばせる」というステップで、オランダでは保育園でも選択肢を与えることがあるそうです。小学生になるといちいち「あなたはどうしたいの?」と聞かれるそうです。
そしてもう一つポイントとしてあげていたのが、自分が「合わない」「必要ない」と感じたらすぐにやめさせてしまうそうです。
エリン・メイヤーさんの『異文化理解力』でも、オランダ人は相手に物事をはっきり伝える国民性が強くあると書いてありました。
自分の意見をはっきりと主張できる、そしてそれがちゃんと受け入れられる、そういう環境が重要なのかも知れません。
3)今後について
このテーマに関しては今後さらに多くの方にご意見を聞き続けていきたいと思います。
この(2022年)夏から海外の学校にも訪問させていただき、他の国ではどのように生徒の「好き」を引き出しているのかも聞いていきたいと考えています。
また新しい気づきがあれば共有していきます!
(こんなご時世ですのでご迷惑にならない範囲で頑張ります💦)
さて、今回は『主体性』というテーマで僕なりの考えを書かせていただきました。いかがでしたでしょうか?
同意できるところや真逆の意見ももしかしたらあるかも知れません。
よければ感想やご意見をコメントしていただけると嬉しいです。
また、上にも書きましたが『主体性』に関する論文などをご存知の方がいらっしゃいましたら、そちらもぜひコメント欄で教えていただけるとありがたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。