正解のない時代を生きていく力
教育は、20年後、30年後の想像もつかない未来を生きる子どもたちのためにある
私の教育観の根っこにある言葉です。
もうすでに、今、すごいスピードで世界は動いています。
いろんな課題に対して、
どう感じ、何を考え、どんな仮説を立て、
どうアクションをしていくか、
それをトライ&エラー、エラー&ラーンで繰り返していくことで、
状況を改善していける力が必要。
じっくり考えてる暇もなく、
考えながら動くって言われています。
つまり、エラーは当たり前。
だけど、学校で出される課題はいまだ教科書の中のものばかりで、
もちろん基礎、ベースは大事なんだけど
それを社会課題の解決に応用することができなければ意味がない。
答えが決まった問題に対して正答を出す
それに終始している。
答えを出すまでのプロセスも大事にしてるけど
やっぱりテストの点数を高めることが目的になってしまう。
成績が点数でついてしまうから、なんだと思う。
評価のためのテスト、テストのための授業、
評価ってそもそもなんなのだ、
評価のあり方とは。
そこは今回は置いといて、
課題に対して、自分の意見を持ち、
その解決策を考えアクションしていく
その練習をたくさんする学校だったら
楽しいし、未来を生きる力になるなーって
それは国語でも算数でも図工でも
どの教科でも入れられる。
そんなことを考えていて、、
例えば、
今、学校に行かない選択をする子が増えてるけど
みんなはなぜだと思う?
どうしたらいいと思う?
教師不足についてどう思う?
そんな問いがあったら
子どもはどんなふうに答えるだろう。
なんて考えた。
LGBTQとか
戦争のこととかでもなんでも
正解がないことばかりの世の中。
正解がないことに対して
自分の答えををもっているか
その答えの根拠を説明できるか
そして相手の答えも尊重しつつ
議論を重ねて解決策を導けるか
そして行動できるか
それがこれからを生きていく力だと思う。
正直、先生という立場は
自分の考えを表明しづらい立場で
先生がそんなこと言うんですか?
って言われる可能性もあって
中立な常識的な無難なものにとどまりやすい。
私もいつしか無難を選ぶようになってしまった。
でも、
子どもたちに意見をもってもらうためには
先生も(親も)意見をもっていて
それを表明できて
他者の意見も尊重する余白がないと。
また、
子どもたちが全体(周り)のことを考えられるようになるためには
先生も(親も)社会や世界をみて
今の自分(日本)の立ち位置をふまえて
全体のためにできることをしていないと。
それらが体現できていなければ
子どもにいくら自分の頭で考えるよう言っても
周りを見て考えなさいと言っても
その素地が育っておらずできない。
環境である大人のあり方が何より大事。
先生たちがもっともっと自分の色を出せるようになったらいいなと思うんです。
そうしたら子どもたちも自分の色を出し始める。
いろんな色があったほうがいい。
いろんな色があったほうがいろんなことが解決できる。
大人たちが自分の色をちゃんともっていて
それを誇りをもって表現する
それが教育を変えることに繋がるんじゃないか。
そして、
なんでもトライしてみようという空気と
それができる余裕も必要
今日はそんな結論にいたりました。
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