自分の言葉を持つという強さ
愛息子、卒園しました。
いろいろあったなぁ。
これからもいろいろあるだろうなぁ。
でも、何があってもまぁきっと大丈夫だからかかってこいやーという感じの気構えがあります。笑
それは、できれば人生で経験したくないようなつらかったり悶々としたり面倒だったりな経験をして、悩みながら逃げずに向き合って、自分たちなりに答えを見出してきたからだなぁと思います。
4月から3年生になる娘が、学校にあまり行きたがらず(現在進行形です)、教育を語る会を開いて同じような状況や想いの人たちと出会い、他の家庭よりは学校と対話する関係性を築いて、
フリースクール×学校のハイブリッド通学の道を開いたことも、
担任を持ちながら学校に行けなくなり休職、退職したことも、
夫婦共にフリーになる覚悟して、マンション売却して、移住して、好きと得意を活かして起業したことも、
こんな経験ないならない方がいいけど、
でも経験しないと得られなかったことがたくさんある。
そういえば、つい先日元同僚から連絡があった。
若いのに優秀な人だった。明るくて誰からも好かれていた。
それと比べて自分は…と劣等感を抱いていたくらい。
電話の内容は、フリースクールのことを聞きたい、ということだった。
彼女は想像力も思いやりもある人だけど、
学校に行きたくない子どもを持つ保護者の側の想いや葛藤は、想像に難い。
当事者にしかわからないものなんだなって思った。
経験したからこそ、話せることがある。
優秀だとか、人気者だとかの話ではない。
私は私の言葉を持てるようになった。
それはやはり「ちゃんと向き合ったかどうか」なんだと思う。
ただ処理するのではなく、ちゃんと血を通わせて痛みも悲しみも喜びもしっかり味わわなければ「経験」にはならない。
教員時代、よく、経過年数か経験年数かって言われてたな。
やっと本当の意味で「向き合う」というスキルを身につけて、一つ一つを味わい経験と学びにして、自分の力に変えられるようになった。
今じゃ、何一つ無駄にしないぞ、くらいに思って、何でもかんでも向き合いまくりで時間が足りないほど。笑
でもそれだけ日常には向き合うポイントってある。
夫婦のこと、子どもとのこと、親とのこと、
仕事のこと、教育のこと、社会のこと、
ただそれを流して経過させて生きることもできる。
でも、向き合った分だけ気づきや学びをくれて、成長させてくれる。
次のステージに連れて行ってくれる。
生きてるだけで学び放題。しかもタダ!
話は飛び飛びですが、
息子はこの先いろいろ起こしてくれるんだろうなーと思ってるわけで(決めつけも良くないですが)
でも、何があっても私は逃げずに向き合っていくんだろうなと思います。
逃げたいのも山々です。大変だから。
でもここぞというときに、どしっと構えて全部受け止める自分が見える。
これから先どんな経験が待ってるのでしょうか。
全部自分たちの糧にするぞ。
問題が起きる未来ばかり考えてしまったけど、
嬉しくてたまらない体験も描かないと💦
このかけがえのない家族とどんな未来を歩もうかな✨
と思ってる横で、ものすごい姉弟喧嘩が始まって、心揺さぶられます。。
あぁ。平和が一番いいな。
誰もが「自分にしかできないこと」を見つけられる。
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