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人生変える程の“きっかけ”の話し。
愛知県豊明市で生まれ育った僕は、特に勉強ができる訳でも無ければ、スポーツが得意な訳でもない。
その辺にいくらでもいる凡人だと思っていた。
“…俺なんて何の取り柄も無いし、果たして生きている価値なんてあるのだろうか?”
と、中学生の頃には(人には相談できずに)深刻に悩んでしまうほど自信がなかった。
そんな僕を変えたきっかけは、小学校5年生の頃に始めた「和太鼓」だった。とは言っても、始めてすぐに変わった訳ではない。
ウイスキーの銘柄『知多』でお馴染みの、愛知県知多半島の先端・美浜町には、16年連続(2007年当時)で全国大会に出場しており、プロ奏者を何人も輩出している「和太鼓部」の強豪校があると、親から知らされる。
母親は僕をここに入学させたかったらしく、中2の頃からよく体験入学に連れて行かされていた。
勉強もスポーツもできない僕は、いつも全校集会とかで、結果を出し賞状を受け取っている他の生徒たちのことを羨ましく思っており、僕としても全国大会常連校である和太鼓部に入部することには前向きだった。
“人生を変えるきっかけが欲しかった。”
やがて受験に合格し、僕は日本福祉大学付属高校 和太鼓部『楽鼓』(らっこ)の部員になった。
地元の豊明市から学校がある美浜町までは、名鉄で片道一時間半も掛かるのだが、それでも大会のメンバーになるために必死で、楽しくて、好きなことのために朝6時36分の電車に乗って朝練に間に合うように毎日通った。
高校生になってからの僕は、絵に描くように次々と結果を出した。
在学中に開催された県大会・全国大会すべてレギュラーメンバーとして出場。
クラスメイトや部活の先輩・後輩からは、自分で言うのも変だが“おもしろ格好いいキャラ”で皆から親しまれており、仲が良かった。
何より、モテた。笑
因みに、高校に入学して最初の数学の授業のときに、平成ライダーシリーズ10周年記念(2009年当時)を迎え放送していた『仮面ライダーディケイド』の話題で友達と盛り上がっていたことをクラス全員の前でバラされた事から、僕のあだ名は“ライダー”になった。おかげで色んな人に認知されやすかった。今でもそう呼ばれている。
高3の頃に出場した、全国高等学校総合文化祭 郷土芸能部門(太鼓部門)では「優良賞」を受賞することができた。
惜しくも、優秀校東京公演(国立劇場)に出演する権利を得られる「最優秀賞」「優秀賞」を逃したが、充分嬉しかった。僕らも、僕らを見守ってくれた顧問や親も喜んでいた。
“一生の仲間と、掛け替えのない思い出ができた。”
まるで青春映画の主人公のような気分で過ごした僕の高校生活は、順風満帆だった。
僕らはこの先、どこにでも行ける。
何者にでもなれる。
もっと大きな挑戦をしよう。
心からそう思った。
こうして僕らの「夢」は最高のカタチでひとつ終わり、新しい「夢」を見つけて高校を卒業した。
同期は、プロを目指し『鼓童文化財団研修所』へ。
僕は、役者を目指して最初は名古屋の演劇科の専門学校に通い、後に東京の養成所『ワタナベエンターテイメントカレッジ』に移った。
ここまでが、自分に自信を持てなかった僕が役者を目指すようになるまでの“きっかけ”の話しです。
僕らが苦労したのは、その先の「夢」に向かって一歩踏み出してからだ。
それはまた、どこかで話そう。