「サンショウウオの四十九日」を読んで
朝比奈秋さんのサンショウウオの四十九日を読んだ。
胎児内胎児、結合双生児を通して、”意識”とは何なのかを考えるきっかけとなる。
解離性同一性障害ではなく、結合双生児として、法的にも二人が一人の体に存在する。
世界的に見れば、腰の部分でつながった結合双生児や頭がつながった結合双生児が存在し、頭は2つあるように見えるし、手足が合計8本に見えるし、外見を見れば「二人がつながっている」とわかる。
しかし、作中の結合双生児は頭は一つ、手足は4本と、外見は一人、しかし、双生児なのである。
小学校か中学校の頃に、人の心はどこにあるのか、心臓にあるのか、脳にあるのかといった道徳の授業を受けた記憶がある。
考えるのは脳で、心臓は血液を運んでいるだけで考えたりはしない。だから心は脳にあるといった話し合いがあったように記憶している。
作中では、頭は一つなのに、二人だから意識は2つある。
つまり、意識は脳にはない、脳が意識を作っているのではなく、
完全に独立したものなのではないかと示唆されている。
自分が意識していることは、頭が考えているのではなく、さらに高次の世界なのか、はたまた意識があるから考えられるという土台のようなものなのか。
芥川賞ということもあり、読んでいて、考えるきっかけを多くくれた。