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「性差の日本史」展をたずねて

私が小学生のころ、どの委員会でもたいてい委員長は男の子、副委員長は女の子だった。そういう決まりがあったわけではないけれど、国会議員だってほとんど男性なのだし、何となくそのほうが、おさまりがよいと子どもながらに思っていた。

大人になってからは、一貫して女性の多い職場、組織にいた私は、これという女性差別を経験した記憶はあまりない。けれども、ここ数年、医学部の不正入試問題の報道や、Me too運動にかかわる人とのつながりから、21世紀に入った今も露骨な女性差別が現存していることを目の当たりにした。そして、女性でありながら無頓着であった自分も、無意識のうちに、差別を許してきたのではないかと考えるようになった。

そんな折、国立歴史民俗博物館で「性差の日本史」展という企画展(2020年10月6日(火)~12月6日まで開催)があると知り、スケジュールをこじあけて、行ってみることにした。

女性首長たちの存在

名前のとおり、日本のジェンダー観の変遷を見せる企画展なのが、さっそく弥生時代から私の凝り固まったジェンダー観は大きく覆されることになった。普通の博物館の展示と同じように、古墳から出土した副葬品や埴輪が展示されているのだが、その出土品があった古墳は、女性の首長を埋葬したものと見られるという。解説によると、前期の古墳の3割~5割は女性だったらしい。「倭人伝」の記述からも、弥生時代、政治集会には男性も女性も区別なく参加していたことがわかるという。女王・卑弥呼だけが決して特別な存在だったわけではないようだ。女性の首長が減っていくのは、軍事化が進んだ時期と重なるという。


朝廷が支配するようになってからも初期のころには推古天皇、持統天皇など、女性が天皇の座につくことがあった。このころの書物に記されたという天皇家の家系図には、男女の区別がなかった。当時はまだ男女が平等に扱われていたと見られ、女性が在位することも自然なことだったのだろうと解説があった。けれどもその後、時代が下るにつれて女性たちは政治の場から姿を消してしまう。


仏教がジェンダー観に与えた影響についても解説があった。仏教の経典では女性は仏になれない存在と書かれているという。現代でも女人禁制を貫く山があり、女性が大相撲の土俵に上がることも認められていないのは、そのためだと聞いたことがある。解説によると、仏教伝来後も鎌倉時代の初期までは、女性がとくに劣ったものとして扱われていたわけでなく、女性差別的な思想に批判的な姿勢をとる僧侶もいたという。しかし、中世後半からは、出産や月経のときに流れる血を穢れとする教えが広まっていった。


中世の絵画史料には商工業の分野で活躍する女性の姿が見られた。解説によると、中世は手に職を持ち事業主である女性も多かったものの、近世に入ると、女性を一人前の職業人と見なさない男性優位の価値観が出来上がっていったという。江戸時代に形成された職人の集団からは、女性たちは排除された。

女性の髪結いは処罰の対象だった

十七世紀に女性の髪結いがあらわれると、幕府は営業を禁止し、ひどいときには、客もふくめて処罰されることもあったという。明治時代には、男性の髪結いたちが「女性髪結いは売春の仲介をしたり、犯罪人を潜伏させたりしている」という理由をつけ、東京府に取り締まりを求める署名を提出している。その署名も史料として展示されていた。署名した男性の髪結いたちは、後世にこうして名前が残るとは思ってもみなかっただろうと思うと、滑稽でもある。

このほか、会場には、性の売買の歴史などについてもくわしい展示があったが、それについては、また別の機会に触れたい。
この展示を見終わったあと、しばらくは気分が高揚していた。エンパワメントされたともいえるかもしれない。

私自身は勉強熱心でもないし、出世をしたいと思ったこともないので、いわゆる「ガラスの天井」に涙をのんだ記憶はない。それはそれで生きやすかったかもしれない。けれども、古墳時代の首長や中世の女性たちのようにリーダーや経営者として腕を振るった女性たちの存在を、10代のころに知っていたら、またちがった道をめざしていた可能性はある。教科書にはのらない女性たちの歴史を、ぜひ子どもや若い人には、もっと知ってほしいと思う。自分はすでに人生の折り返しに立っているかもしれないが、この先「女性としての役割」にとらわれ、不自由に思うことがあれば、この展示を思い出したいと思った。


この展示を見てもう一つ強く思ったのは、差別は社会の移り変わりのなかで人間が形成した、不合理なものであるということだ。人間は一人残らず女性から生まれてくるのに、男性よりも女性が劣っているとは、どう考えても非科学的だ。でもそれが長い間、まかり通ってきた。抵抗する人はいても、大多数の人が「伝統」というもっともらしい言葉を鵜呑みにしたり、あるいは周りの空気を読んだりするうちに、性差別はもはや差別とさえも認識されない、社会の共通認識になっているとも言える。

これはとても恐ろしいことだ。そして、性差だけでなく、部落差別、人種差別など、あらゆる差別に同じことがいえると思う。
刷り込まれた思い込みを捨て、事実をていねいに見ていくことの大切さに気づかされる展示だった。

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