木村俊雄さん著「電気がなくても、人は死なない。」
本要約系YouTuberのアバタローさんのチャンネルで、ミシェル・フーコー「監獄の誕生」を見ました。
自分じゃ絶対読めないと思うので、こうして紹介して頂くのは、ありがたいです。
さて、今の社会、まさにフーコーが指摘する監獄じゃんか、と思いますよね。ぼくだけかな?
ぼくは、職場で暇な時に、どこかへ自由に行くことも出来ず、職場の中をウロウロと歩き回っていることがあるのですが、これじゃあまるで檻に閉じ込められた動物園の動物みたいだな、と我が事ながら良く苦笑してしまいます。
さて、みなさんはオフグリッドという言葉をご存知ですか?
元・東電原子炉設計者の木村俊雄さん著の「電気がなくても、人は死なない。」という本を読んでいます。
前述のオフグリッドというのは、電力会社をはじめとする既存のライフラインから独立した生活様式のことを指すそうです。
著者の木村俊雄さんは、原子力発電の矛盾に耐え切れず、東京電力を退社。その後3.11があり、今も脱原発を訴えている方です。
実際にご自身も、このオフグリッドの生活様式で過ごされているようです。
原発反対か推進かという議論は、コロナの流行もあり、すっかり主要メディアは取り上げなくなってしまいましたが、今も何も解決されることなく、次の世代への宿題を山盛りで残しています。
木村俊雄さんの著者を読んでも、やはり、こんな危険なものは直ちにやめたほうが良いと、ぼくも思います。
本の中で、木村俊雄さんのこんな言葉が印象に残り、メモしました。
食とエネルギーを自分たちのできる範囲で、その自給度を高めていって、巨大な資本とのかかわりを軽減していく。
突然ですが、あなたは、自分は稼ぎが悪いと落ち込んだことはありますか?
ぼくはあります。
それは、お金という尺度で、自分や人の価値を測っているからです。
もちろん、人をそんな尺度で測りたくはありません。
ですが、資本主義社会で生活している間に、モノや人の価値を、お金という数値に置き換える思考の癖が根強くついてしまっているのです。
悲しいですね。
でも仮に、生活インフラに必要なエネルギーを自分で作り出すことが出来て、自給率を高めた食生活をして、お金をあまり必要としない生活になった場合、お金のある、なしなんて、人の価値には全く関係ありません。
人として好きかどうかだけですよ。
ぼくたちは、今ある社会に適応する為に、学校へ行き、教養を学び、フーコーの唱える監獄のような社会で、まるで囚人のような生き方をさせられている、なんて気がしませんか?
お金信仰も原子力信仰も、人が作り出しただけのバーチャルなものです。
資本主義が渦巻く刺激的な都市の風景は、ぼくも好きです。便利だし、楽しいですもん。
でも、そろそろ次の段階へ行こうよ、とこの本は語りかけてくれます。
是非、読んでみてください。
それでは、また明日