#4 ミャンマー、シャン州、少数民族への探訪
ヤンゴンのダウンタウン。
チャイナタウンの中にある小さな旅行会社で、
僕はお茶をすすっていた。
ヤンゴンに滞在して早数日。
そろそろ他の街に移動しようかなぁと考えていましたが、行先を決めかねているところでした。
ちょうど滞在しているホテルの隣に小さな旅行会社がありました。
中に入ると若い女性と中年の男性。
行先に迷っている旨を伝えると、『座ってー』と促され、お茶を出されました。
眼鏡をかけた小太りな中年の男性が僕の体面に座ると、
『どっから来たんだい?』
日本からです。と答えると、
そうかそうか、と頷きながらバスの時刻表を大きく広げてきました。
時刻表を広げたのはいいものの、話しは一向に旅の相談ではなく、
おっちゃんの”いかに日本を愛しているか”の演説を聞く羽目になりました。
話しはミャンマーの政治の話になり、詳しくわからない僕は
「へー」とか「そうなんですねー」の相槌を打つだけでした。
小一時間たったころ、若い女性が、
『ちょっと、そろそろ本題に入れば?』
と語気強めに催促し、おーそうだったな。という感じで、本題に入りました。
僕はおっちゃんの話しを尻目に、おっちゃんの背後の壁にかけてある湖の写真が気になっていました。
夕焼けで光る水面に、小型の船に大きなかごをもった漁師。
「すみません。ここってどこですか?」
手元のガイドブックを無視して、写真を見つめながらおっちゃんに尋ねていました。
『あーここはインレー湖だよ。シャン州だね』
「バスあります?」
『待ってな。えーっと・・・空いてるって。今日の夜8時発』
僕の行先は決まった。
シャン州
シャン州は昔から話題に事欠かない場所だった。
かの麻薬密売で有名なゴールデントライアングルはシャン州だし、今でも多くの独立紛争を抱える場所である。
約20年前まで外国人立ち入り禁止の場所も多くあったことから、多くの秘境や少数民族が住む、魅力あふれる場所なのだ。
20時発のバスに飛び乗った僕は、まだ眠い目をこすりながら、朝焼けで幻想的な田園風景を眺めていました。
ヤンゴンからインレー湖畔の街ニャウンシェまで約10時間。
インレー湖にでるボート乗り場の近くにあるゲストハウスにチェックインしたときには、ヤンゴンを出て12時間が過ぎたころでした。
インレー湖に滞在できるのは約3日間。
4日後にはバンコクに戻らなければならず、結構弾丸の旅でした。
掲げた目標は2つで、1つ目は少数民族のパオ族の集落に行くこと、2つ目は快晴のカックー遺跡を撮影することでした。
パオ族は、超人の父と竜の母を持つといわれる少数民族で、頭に竜を模したターバンを巻いています。
カックー遺跡は、そのパオ族の聖地のようなところで、パオ族が住む特別地域にあります。
運が悪く、ちょうど天候が優れない時期だったため、快晴のカックー遺跡は見れないかもしれないと、ゲストハウスの方から言われていました。
湖上の民インダー族の集落
ここに来るきっかけになったインレー湖は、軽くでいいかなぁと考えていました。
ちょうどボート乗り場が近かったので、直接交渉です。
「すみませんー」
船着場から少し段差で高くなっているところにあるベンチに座った漁師に声をかけた。
『貸し切りなら25,000チャットだよ!』
お、という顔と同時に答えた。
「ただ集落に行きたいだけなんですけど、行けますか?」
『観光じゃなくて?パダウン族(首長族)のところもいけるぞ?』
「むしろあなたの家に行きたいんです」
『えぇー...』
若干戸惑っていらっしゃいましたが、運賃は払うしご飯もおごるよ。と伝えたら『OK』と承諾してくれました。
インダー族は、水上に家を建て漁を生業にしています。
彼自身もインダー族で、結構話して仲良くなったら、いろいろ教えてくれました。
「病気とかになったらどうするんですか?」
『一応、病院みたいのもあるんだよ』
「へー、学校もあるんですか?」
『ちゃんとあるよ!あとで見せてやるよ』
シャン州に来たきっかけもお伝え。
「写真で見て、来たんですよ。漁師さんがかご持ってる写真」
『かごを上にあげるのはパフォーマンスだよ。上にあげてたら魚取れないだろ』
確かに(笑)
『そっちの方がみんなが喜ぶんだよ。やってもらうからちょっと待ってな』
うーん、いいポーズだけど、さっきのことを聞いたら素直に喜べませんでした(笑)
集落に向かう途中では、漁師さんがたくさんいるため、リアルな漁をずっと見ていました。
片足で後端に立ち、残りの足で櫂を操り進んでいく。
集落では、生活の一部が垣間見れ、皆さん大変優しく接してくれました。
漁師のおっちゃんが何か言うと、おー座れ座れと招き入れ、
お茶やらお米で作った煎餅なんかを、飲めや食えや出してくれました(笑)
「漁はしないんですか?」
『漁もするよ。でも観光案内のほうが儲かるから』
手作りのタバコを旨そうにふかしながら漁師は答える。
『見なよ。観光客用にレストランなんかもあるんだぜ』
湖上には木で作られたレストランや土産物屋などが作られており、
インレー湖を180度見渡せた。
「綺麗だし落ち着きそうですね」
肯定も否定もできず、ただ感想だけを述べてしまった。
『スマホの電波も入るしな。便利になったよ』
ハニカミながら中国製のスマホをポンポンと手でたたき、
漁師のおっちゃんはレストランで食事をする白人観光客を眺めていた。
その後、いろいろ案内してもらって、お別れの時。
『明日はどうするんだ?』
「パオ族の集落に行きたいんですよ、あとカックーにも」
『じゃ知り合い紹介してやるよ』
竜の末裔パオ族の集落
次の日、漁師の方から紹介してもらった方にゲストハウスまで迎えに来ていただきました。
パオ族の集落・カックー遺跡は、ニャウンシェの街から東に山を二つか三つ超えたところにあります。
車だと約2時間くらいの距離です。
僕はいろいろと周辺も歩いて回りたいなぁと思っていたので、
近くまで乗せてもらい、歩いて向かうことにしました。
『俺も用事済ませたら街に戻るから、それまでには帰ってきてくれよ』
と言われ、街から山を越えたところにある山道の交差点で降ろしてもらいました。
まず目指すのはパオ族の集落。
集落までの道は、ある程度整備されていて歩きやすかったです。
日本では、まず見ることはできなそうな見渡す限り低い山林地帯。
小さな丘が緑林に影を落とし、なんとも形容しがたい気持ちになりました。
歩くこと40分くらい。
そろそろ手持ちの水も尽き、のどが渇いてきたなと思っていると、
前方の方にマーケットが見えてきました。
ほとんどの人が紺色の民族衣装に身を包み、頭には色とりどりのターバンのようなものを付けていました。
パオ族の集落です。
僕は、「着いた!」という感動より、「み、水・・・!」という気持ちが勝っていました(笑)
速攻で水を買い、浴びるように飲んでいると、哀れに思ったのかもう1本サービスしてくれました。
(若い女性は、頭に載せていない人もいました)
マーケットには、野菜から果物、香辛料、山盛りのにんにく、独特のにおいを発する何かが所狭しと並べられていました。
食堂もありましたが、暑さで食欲がなかったので、先に進むことにしました。
聖域カックー遺跡
マーケットを出てからは、交通量がどんどん増えてきました。
トラックの荷台に屋根を付けたようなバスは、パオ族を乗せて進んでいました。
どうやらゴールは近そうだな。と足の痛みはどこかへ消え、自然と足取りは軽くなりました。
しばらくすると大きな広場が見え、さっき見たバスが停まっていました。
カックー遺跡です。
パオ族の聖域カックー遺跡は、2000年に外国人旅行者に開放されました。
2400基以上のバゴダは、800年以上の長い年月をかけ建立され、今の姿になりました。
(※カックー遺跡は入域料とガイド料が必要です。私はドライバーさんに支払いました。)
一番奥の白いバゴダには仏陀がおり、多くのパオ族が祈りをささげていました。
ちょうど観光客が少ない時だったのか、外国人の姿はほとんど見られず、カメラを片手に歩いている僕は異質に見えたと思います。
カメラを構えていると、多くの人が『撮ってよー』という感じでポーズを取ってくれました。
撮った写真を見るとキャッキャウフフと反応して、バイバイーと去っていきました(笑)
パゴダには機関銃をもつ兵士の姿もありました。
「Hey~」
と声をかけると、向こうも”よぉ”みたいな感じで答えてくれました。
年配の兵士と若い兵士の2人組。
2人の兵士は、年季の入った機関銃を肩からぶら下げていました。
「ここを守ってるんですか?」
『そんなところだ』
年配の兵士は英語がわからないようで、若い兵士が答えた。
僕のカメラを見ると、撮れ。と言わんばかりに銃を構えました。
写真を撮って見せると、”お前やるじゃん”という感じで笑顔になりました。
「暇ですか?」
と聞くと、若い兵士は年配の兵士をチラッとみて、渋い顔。
あちゃー聞き方まずったな。と後悔した。
『まー、何もないことが一番だね』
僕のやっちまったという顔に気づいてかフォローしてくれた感じだった。
『どこから来たんだ?』
「日本からです」
と答えると、
『ここらへんは平和だから安心しな』
そういうと2人は外の警備に出ていきました。
まだまだ多くの課題を抱えているシャン州。
下手をすると、このカックー遺跡にも来ることができない日が来てしまうかもしれない。
この錆びついたマシンガンを使う日が来なければいいのになぁ。
と思いながら、カックー遺跡を後にしました。