あたりまえのことができる人であふれている社会
前回「子どもの1人の人間としてリスペクトする社会」について書きました。
しかし、残念ながら、現状はまだまだその域に達するには程遠い状況だと言わざるを得ません。それは、今の「常識」というか「あたりまえ」のことが、人としての暖かみに欠けているからだと思います。
例えば、今回のコロナ禍。「STAY HOME」と言うと、聞こえがいいのかもしれませんが、中身をよくよく見たら、
「仕事は中止して家にいなさい。」
「ただし途絶えてしまう収入については補償しないので自己責任で。」
って、私の「常識」では「ありえない」です。
相手に不都合を強いたのであれば、それを補うのが「あたりまえ」
補えないのならそのことについてお詫びするのが「あたりまえ」
だと思っています。
しかし、現状は、
困っている人がいても、苦しんでいる人がいても、馬耳東風。
「感染防止のためです」を大義名分にして、補償無視して臥薪嘗胆。
困っている人がいたら手を差し伸べる。
苦しんでいる人がいたら助ける。
これが私の中での「あたりまえ」です。
そしてそこには、人としての暖かみがあると思います。
悩んでいる人がいたら話を聴く。
疲れている人がいたら休ませる。
お腹がすいている人がいたら食べさせる。
悪いことをしたら謝る。
失敗したら次につなげる。
挙げるときりがありません。
失業した人にはせめて仕事が見つかるまでは助けてあげましょうよ。
10万円で、それも1回こっきりで生きていけますか?
子育てしながら働いている家庭にももっとお金あげましょうよ。
それが無理だというのなら、子育てに今ほどお金がかからないようにしましょうよ。時給1000円で1日8時間働いて8000円。土日休みでも月16万円くらいですよ。そこから固定費引いたら、いくら手もとに残りますか?少なすぎるからもっと働くしかないですよね?それも不利な条件で。
「子ども食堂」で、しっかり食べていない子どもを救う。すごくいいことです。でも、運営しているのは善意あるボランティアが中心って、国家ってあまりに冷たくないですか?というより、十分に食べていない子どもがいる国って先進国と言えるのでしょうか?
介護でいっぱいいっぱいになっている人に対してもっと助けてあげましょうよ。
介護保険のサービスだけで、それも十分でないサービスで1割も負担して、
それでも足らないから、仕事辞めて収入減って。。。何のために生きているんでしょう?
自己責任
自業自得
財源がない
自助努力
一生懸命頑張っているのに、報われない人がたくさんいます。
そんな人たちにもっと光が当たるような暖かくて優しい世の中にしたいです。