40回目の誕生日を迎えて
きょうは午前中から歯医者に行くつもりだったのですが、メールでの予約が取れなくて、診察は10月1日になりました。それで、となり町の行きつけの喫茶店に行って、碧海寿広(おおみ としひろ)さんの『入門 近代仏教思想』を読み終えました。碧海(おおみ)ってきわめて珍しい名字ですよね。初めて知りました。
本書において1981年生まれの若い著者のよく整理された明晰で平易な文体に魅せられました。近代日本に哲学とキリスト教、個人主義、そして科学が大きな影響を与えたことはぼくが指摘するまでもありませんが、そのなかから思索を深めた井上円了(えんりょう)、近角常観、暁烏敏(あけがらす はや)、倉田百三について概説しています。ぼくは39歳で夭折した清沢満之(きよさわ まんし)にとりわけ強く惹かれました。彼は信仰による平安な心をつねに熱く求めながらも、思考の道具としての哲学を手放せず若くして死んだからだと思います。信仰と哲学両方の本質を熱心に追求した人物がぼくは好きなのかもしれません。キルケゴールにしても、ヴェイユにしてもそうですしね。
いったん喫茶店のすぐそばの中華料理屋で昼食をとったあと、図書館に寄り、竹村牧男さんの『空海の哲学』を借りました。そして、歩きながらとある大手企業の人事担当者と20分ほど電話をしました。魅力的な仕事だとは思うけれど、とても忙しそうできつそうで、お金よりも健康を重視したいぼくとしてはすこし悩みましたが、面接が4回もあり、しかも日本語と英語でそれぞれ2回ずつあると聞いて関心が深まりました。ダメ元で応募して、外国人と英語で面接するのが面白そうだし、刺激を受けられると感じたからです。早急に転職するつもりはないけれど、彼らにじぶんのなまくらな英語力がどの程度通じるのかもちょっと気になるのです。
電話が終わったあとは、午前中にいた喫茶店に戻って『空海の哲学』を。前半は空海の生涯を追っているので、隋や唐の時代の雰囲気を想像しながら読んだのですが、あの時代に中国大陸に渡り、その後無事帰ってこれたことだけでも凄いのに、空海は当時の中国語もサンスクリット語もマスターしていたというエピソードでさらに感銘を受けました。これらのことは歴史的事実として知ってはいましたが、彼が元々卓抜した巨大な才能の持ち主だっただけでなく、密教の教えを日本に伝えこの国を鎮護するという壮大な使命感とそれを支える仏への信仰の深さと力強さによって心打たれたのだと思います。
きょうはかなり集中して読書できたので良い誕生日でした。友人や知人からもたくさん祝福のメッセージをもらえて感謝しています。一人ひとりにあってお礼を言いたいところですが、アンダーコロナですし、会って話ができないのもとても残念です。最近、人恋しいというほどではないですが、やはり自分の個人的事情で自由が制約されるのと、感染症のために社会的に自由が制約されることの質の違いを日々強く感じます。自分の意志といくつかの条件が整えば、心置けない友たちと会えるということが実は根源的な喜びのひとつであることに気づかせてくれた点は新型コロナウィルスの功罪の功の部分かもしれません(以前にも似たようなことを書いたかもしれません)。ぼくが40歳のこの一年も基本的にはコロナの問題で世界中が揺れ続けるでしょうが、少しでも早くこの問題が解決に向かうことは祈らずにはいられない。いま、そんな気持ちです。
さあ、あすが終われば4連休です。それもちょっと楽しみです。9月は良い月です♪