「ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考」を読んで知ったこと思ったこと。
WEB3.0は曼荼羅に似てる?この世はメタバース??
Web3.0は自律分散でたくさんの中心による相互補完型のネットワークといえる。密教の曼陀羅構造体も同じ。悟りを開くというのは他律的な世界の1部と自分をみなすが、悟ることで、自分を中心としたネットワークを意識する。仏教概念的なものがIT技術の進化によってより手触り感や実感を以て感じる世界になってきている。
仏教では現実世界の一つ上の世界を「空」と呼ぶとするとその世界を見れるのは「悟り」を開いた人だけだといわれる。でもメタバースを体験することでその感覚を理解できる。つまり「悟り」を開いて空を見るということをメタバースと現実世界を行き来することで疑似体験できる。
技術革新の方向性のベースに仏教的思考が働いているのか?それとも効率性という今の世の中が求める重要視される価値観を極めた結果、効率からかけ離れていると思われていた宗教的概念に帰着したということなのか?
仏教と科学は並列関係?
科学的と非科学的の評価軸で考えるとき宗教は非科学的に分類される。
世の中すべてのことが科学で解決できていないのも事実だ。地動説、天動説の論争からもわかるように宗教の中の1宗派として科学(教)があり、今の世の中ではこの科学教が最大宗派といえる。仏教やキリスト教、ヒンドゥー教などいろんな宗教に類似性がみられるように科学と仏教に類似性があっても何らおかしくない。
科学「教」だけだと辛いので別の宗教概念を取り入れよう
今の社会で普通に生きるということは必然的に科学の力を享受しながら生きている。つまり科学教の支配下にいる。人間は多面的な生き物だから、1つの宗教の教義で全員が納得できるわけもなく、最大公約数てきなものだ。
つまり、科学だけだと納得できない、不都合な部分に折り合いをつけたい。
そこで「仏教」が1つの選択肢に上がる。
仏教はポジティブに生きるためにあえて一切皆苦を説く。⇒これ合理的
仏教の最終テーマは苦からの脱却。
仏教はポジティブに生きるための思考ツールポジティブに生きるにはネガティブを知らないと回避できない。なのでネガティブについて一旦学ぼうということ。(一切皆苦というのは世の中のすべてに苦が内包されているという考え方。)
(おもったこと)
古いとか新しいという価値観そのものが無意味だなって気づいた
例えばファッションのトレンドはちょっと前はノームコアという超普通、個性を消した感じのものが流行ったけど最近はY2Kなど個性的、デコラティブな服がリバイバルしている。流行りは回っている。仏教って古い、科学って新しい、みたいなものはむしろ科学が発展した結果、情報が広くいきわたり、過去のデータがアーカイブされて閲覧できることで「鮮度」という概念を乗り越えた気がする。古いものと新しいものを並列でハイブリッドに活用するのが最も進んだ考え方なのかもしれない。