火中の栗を拾うのはなぜ?
「火中の栗」最近久々に聞いたこの言葉。
問題が顕在化してしまっていて失敗が見えてる案件や、対応が困難で、骨折り損になりそうな案件といった誰も積極的には手を付けたがらない、そして絶妙に「どの部署がやるべきか」も解釈が分かれるようなその組織にとって新規性の高い案件。これらが「火中の栗」といわれがちだ。
これらの栗は拾うことで得られるものも相当あるのではないかと思い、整理してみた。
私の経験上、上手に拾うことで自身の社内でのブランド確立、ネットワーク獲得による影響力の強化につながる3つの良いことがある。
良い事その1
「拾う」動作そのものが自身の社内評価を上げる
ある程度の実力が認められている人であれば、「お!それを取りに行くのか!チャレンジャーだな」。若手であれば「若気の至りだろうが、勢いのある子だ」と思ってもらえる。「バカなやつ」という評価を受けるリスクもあるが、そんな後ろ向きな発想をする人からの評価は気にしなくてよいと思う。このチャレンジの結果、組織人としてのブランディングのきっかけになる。
良い事その2
成功した時の評価が成果のわりに高い
「火中の栗」と社内評価されている案件ということはそもそも処理の度合いへの期待値は低い可能性が高い。(それくらい成功させるのが難しいので)
ここに1点突破で努力をおこない、仮に「そこそこ」の実績がでる、ないしは大失敗しないことがそのまま「よくやった」という評価に結びつく。
つまり成功への期待値が低いことを逆手にとれるのである。
良い事その3
社内ネットワーク構築のきっかけづくりになる
「火中の栗を拾った○○さん」として社内の人に助けを求めるきっかけを得ている。普段の自分の仕事とは勝手が違う、ということは誰かに意見を求める口実にもなる。結果的に相手が手を貸してくれなくても、自部署を越境する動機にもなるし、相手も面白がってつながってくれる可能性がある。
これは将来の自身のキャリアにとってプラスになる。
このように火中の栗はいいことだらけ!と言いたいところだが。。。
だったらみんな栗拾うだろ・・・
拾っていい栗悪い栗は人それぞれだ
そう。火中の栗にも拾ってよい栗と拾ってはいけない栗があり、だから「うまく拾う」必要がある。そのポイントは下記の3つだと思う。
1.「処理できそうだ」という手ごたえがあるか?
自分自身の処理能力と持っているリソースを組み合わせることで自分にとって処理できる「栗」かどうかのジャッジが必要。栗を囲むメンバーにとっては難しい栗でも、自分にとってはそこまで難易度が高くない栗。これが一番コスパの良い栗だ。
2.栗を処理するまでに精神的に耐えられるか?
火中の栗は処理が終わるまでの期間、上位職の人間からのプレッシャーにさらされることが多い。拾う人がいないから請け負ったにもかかわらず「拾ったからにはちゃんとやれ」精神で突っ込まれる。
労力がかかるのは普段の仕事と同じく算段がつけやすいが、精神的な部分は意外と疲れてしまう。拾った際に普段と異なる上位職者とコミュニケーションが取れるのはいいことだが、彼らからの評価にさらされる場合、マネジメントスタイルの相性は想定が必要だ。
3.失敗した時の具体的なペナルティがあるのか?
失敗が自身にとって致命的になるものであればまさに「拾ってはいけない栗」である。致命的とは、退職に追い込まれる。損害賠償を求められる。ないしは閑職確定。といったものである。
一般的にはそんなやばい栗はそもそも落ちてる会社はまずい。
タスクフォースを汲むなりして取り組んでいないと会社が存続できないだろう。あるいは取り組む価値もないため放置されているのだと思う。
これら3つの視点で評価をおこない、その栗が「火中の栗」たる社内的な事情と自身の能力を前提にした解決難易度を比べることで、「勝機あり!」ないしは「期待値は超える成果が出そうだ」という栗が拾えれば大成功だ。
最後に
やる気がなければそもそも火中の栗なんてレッテルのついた案件から遠ざかりたい。今のポジションを維持するためにも拾う必要がない。
このことから火中の栗は拾う勇気と野心がある人だけに開かれた可能性のツブテかもしれない。