『家族介護者の気持ち』②「いつまで続くか、分からない」と、「先を考えられなくなる感覚」
この「家族介護者の気持ち」シリーズ(勝手に名付けて、すみませんが)では、家族介護者の気持ちが、介護が始まってから、どんなことを感じ、どんなことを思い、どんな風に変わっていくのか、を何回かにわたって、お伝えしたいと思います。
今回は、『家族介護者の気持ち②「いつまで続くか、分からない」と「先を考えられなくなる感覚」』のことを、お伝えしようと思います。
今回も、これまでの私自身の経験や、見聞きしてきたこと、学んだ事なども統合して、できるだけ一般的な事として、伝えることができれば、と考えています。
もちろん、これから書くこともすべてが正しいわけではもちろんありませんが、できるだけ、今まで触れられていないような、家族介護者からの視点を重視するようなことを伝えたいと思っています。
それでも、もし、読まれて、「これは違うのでは」といったことがありましたら、よろしかったら、教えていただければ、と思っています。よろしくお願いいたします。
そうやって、いろいろなことを話し合えるようになれば、介護に関する言葉が豊かになり、そのことで、家族介護者の気持ちへの理解も進めば、現在、そして未来に介護をされる方々の負担感は、確実に減るのではないかと思っています。
「いつまで続くか、分からない」ことに気づく
家族介護者は、突然、介護をしなくてはいけない状況に巻き込まれるように、介護をはじめることが多く、それは心理的には「危機」という状況に近いこともありますから、気持ちの負担もかなり大きく、それだけで精神的なバランスを崩してもおかしくありません。ですので、その時に心理的な支援も必要ではないか、と考えています。
そして、その「危機」を乗り越え、たとえば、「食事・排泄・入浴」といった介護行為に関わるようになり、もちろん、非常な負担がかかりながら、それになんとか慣れ、いろいろな苦痛も当然ありますが、介護をしなければ出会えないような喜びにも会い、単純に辛いだけの日常ではなくなっていくはずです。
もちろん、それは適切な支援者と出会うことによって、そうした介護のある日常への移行がスムーズになるはずですから、周囲の助力は当然のように重要なことにはなりますし、支援がなければ、介護を続けていくことは難しいのかもしれません。
ただ、当然のように、介護の形は様々でしょうから、介護が日常になるまでは、いろいろな方法があるでしょうし、ただひたすら苦痛だけが続く場合もあるでしょうし、思っていたよりも、心身ともに負担が少なく、ある程度、穏やかな介護の日常にたどり着くこともあるかもしれません。
それでも、そうした平穏を手に入れたと思った時に、ふと、気がつくことがほとんどのはずです。
「…これが、いつまで続くのか、分からない…」
だんだんと「24時間、365日体制」になっていく
介護者の支援に関わった方々であれば、家族介護者の方から、「介護は24時間」というような表現に出会ったことがあるのではないか、と思います。ただ、この表現に対して、プロの介護者の方ほど、微妙な違和感を覚えることはないでしょうか。
そんなことは可能なのか、ましてや、人によっては、「24時間、365日体制」といった言葉を使う方も、いらっしゃるでしょうから、それについては、デイサービスやショートステイも利用しているのに、ましてや、介護をしている相手は一人なのに、と思う介護の専門家の方がいらっしゃっても不思議ではありません。というよりも、そうした違和感や疑問は出てきて当然かと思います。
もちろん最初から、24時間、365日体制ではないはずです。
当初は、「介護のはじまり」の混乱の中にあり、そして、介護に慣れるに従って、時間が蓄積していきます。その中で、介護行為には苦戦をしつつも慣れてくることが多いと思います。
ただ、特に被介護者が認知症の場合は、目を離した時にトラブルが発生しがちです。
最初は、それほど重くないことかもしれません。何かを落として壊したり、夜中に呼ばれたり、から始まり、それも、もちろん頻度によっては、それだけで十分に重い負担になることですが、さらに、症状が進んだ場合は、徘徊したり、ボヤを出しそうなことさえ、起こりえます。
そういったことがあると、家族介護者は恐怖心と共に、気をつけなければと思い、心身ともに常に緊張状態になっていく場合が多いです。
少しの気配の変化、小さな物音。傍目から見たら、気にし過ぎと見えることがあったとしても、当事者としては、一度はあった「大きな出来事」が基準になり、そうしたことが起こる前に、何とかしたい、という思いになっている可能性が高いです。
しかも、油断した頃に、また何かが起こったりします。そうなってくると、デイサービスに行っている時も、完全に緊張を切ってしまえなくなり、どこか、気にし続けているという状態になりがちです。
そうした状態になると、たとえばデイサービスで、1日7時間預かってもらったとしても、その感覚としては「息抜き」というよりは、水泳でいえば「息継ぎ」に近い感覚に、介護が長くなるほど、なっていくように思います。「息継ぎ」をしなければ、それこそ、溺れてしまいます。
そして、介護の期間が長くなるほど、様々なトラブル発生が多くなってくるでしょうから、そうなると、大げさでなく「24時間・365日体制」の緊張感が続くのであって、多くの体験談などにも、こうした表現が見られます。
1970年代は「呆け3年」(今から見ると、ひどい表現ですが)などと言われていましたが、今は、10年を超える介護も少なくありません。その時間は、おそらく本当に永遠のように感じられているのかもしれません。
人間にとって、もっともつらいことの一つ 「いつまで続くか分からない」
誰もがいつ終るかを知らなかったからです。それが、ひょっとすると、強制収容所のなかで一番気分がふさぐ事実の一つでさえあったかもしれないというのが、仲間たちの一致した証言です。
これは、第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所に強制収容された心理学者のフランクルが残した言葉です。
もちろん、この状況と介護はイコールではありません。それでも、それだけ「いつ終わるか分からない」は、長くなるほど追い詰められる可能性が高くなることなのでしょうし、私自身が介護者の頃、こうした言葉にとても共感できました。
(この著作は、こうした厳しい状況にどう対応していくか、についても触れられています)
気分転換が難しい理由
それでも、おそらくは、支援者や周囲の人から見て、もしかしたら不思議に見えることの一つは、「もっとうまく気分転換すればいいのに」といったことかもしれません。
この疑問を持ったままだと、「24時間・365日体制」の緊張感は、ただ、そのやり方が間違っているのではないか、といった見方になりがちですし、場合によっては、介護を熱心にする人たちは、元々特殊な思考の持ち主たち、といった認識になってしまう可能性まであります。
これについては、自分自身や、他の方々の体験談、書籍などで学んだことも含めて、総合的に、こんな気持ちではないか、と思えることを書いていきます。
介護生活がある程度の期間になり、その生活に適応してくと、気分転換をしたとしても、被介護者のことがずっと気になり続け、頭のどこかにある、といった表現をする介護者は少なくありません。
また、すっかり気分転換をしてしまうと、介護生活に戻ることが、とても辛くなるため、そのうちに、気分転換をしたとしても短くするか、微妙に緊張感を保つ、といった方法を採用する介護者も多い印象があります。
いったんスイッチオフにしてしまうと、またスイッチを入れて、ゼロから立ち上げるよりも、わずかでも、スイッチが入っているような状態を保つ方が、「いつまで続くか分からない」という人間にとって、「過酷」な環境に適応するためには、実は有効な方法かもしれない、とも考えています。
もし、それが「異常」に思えるとしたら、「いつまで続くか分からない」緊張状態を強いるような「介護という環境」が、「過重な負担を強いる」という意味で「異常」なのだろうと思います。
ただ、その適応状態を維持するための、負担感は大きく、この生活を続けることで、かなり追い詰められていく家族介護者も少なくありません。
それでも、介護を続けている方が、ほとんどではないでしょうか。だからこそ、慎重で適切な支援が必要になってくるとも思います。
「先が見えない」のではなく、「先が見えなくなる」感覚
「いつまで続くか分からない」という言葉と同様に、「先が見えないから、大変」という表現もされることが、社会の介護への関心が高まるほどに、言われるようになってきました。それでも、その言葉を聞いていて、私自身は、微妙な違和感をおぼえることも少なくありませんでした。それは、何か違う、というぼんやりとした印象でした。
2018年まで介護を続けてきて、結局、19年間、介護をすることになりましたが、いつも「いつまで続くんだろう」という思いにとらわれることが、時々あり、その時は、ふわっと辛さに襲われたりもしました。そんな時は「先が見えない」という感覚とは違うような気がしていました。
もちろん、個人的な感覚ですし、家族介護者全員が、こんな感覚ではないと思いますが、話をしたら、同意してくれる人もいらっしゃったので、伝えることにします。
たとえば、義母の排泄介助をしている時、特に夜中の3時とか、4時頃に、ふとこんな風に、思うことが少なくありませんでした。
…今日は、トイレに連れて行って、たぶん、4回くらいは、連れて行ったと思う。ということは、この作業は、ショートステイを使うとしても、家に完全にいない時は、年間で18日くらいだから、それをひいたとしても、1年間で1000回は連れて行っているんだ、それで、こういう感じになってから、たぶん10年くらいはたっているから、もしかしたら、一万回は連れて行っているのでは…。
などと思うと、比べるものではないのですが、千日間、修行として、山を走る、みたいなことを思い出し、失礼だとは思うのですが、1000日で終わったらいいな、などと思ったりもしていました。
そして、その時に見えたと感じたのは、過去に、今と同じようなことをしている自分の姿が、ずーっと続いて、見えて、すごく遠くまで続いていて、そして、これからどうなるんだろう、いつまで続くんだろう、などとふと思いました。
すると、その過去への、ずーっと続いている自分の姿が、そのまま未来に向かって、同じように伸びて、ずっと同じことをし続けているイメージがわいて、ゾッとしました。それも、これから先に、負担が増えることはあっても、減ることはありません。だから、永遠に続く、それも下り坂を、自分が歩んでいくしかないのです。
そうなると、意識的にも、たぶん、無意識的にも、先を見えなくさせるような気持ちに自分を持っていくしかありません。
だから、この「いつまで続くか分からないが、先にどんなことが待っているか見えすぎる」状態に耐えるために、というようなことだと思うのですが、無理やりにでも、今だけに集中するようにしていたように思います。
イメージとしては、もちろん重荷だけではないのですが、でも、負担もありますから、背中に「介護」を乗せて、先を見ると、見えすぎて恐いので、無理にでも、首を曲げ、足下だけを見て、それで歩み続ける、というようなことでした。
その心の姿勢は、たぶん負担がかかるのでしょうけど、それも介護を続けるための適応のようにも思います。
先が考えられなくなる感覚
そのせいか、介護を続けていると、先のことがあまり考えられなくなります。もちろん、全員ではないでしょうけど、こういう心の姿勢をとっていたとしたら、今だけを考えて、生きていって、毎日を1日ずつ乗り切る、といったイメージになり、結果として、先のことは見えにくくなるのでは、と思います。
「いつまで続くか分からない」時間の中で、生きていくことは、そこに適応するために「先のことは考えられなくなる」感覚になる可能性もあることは、私だけでなく、他の方々の話などでも感じています。
だから、「先が見えなくて、大変」という言葉への微妙な違和感というのは、結果としては、同じ「先が見えない」になるのですが、「あまりに先が見えすぎて、それがこわいので、意識して足元だけを見ようとして、その結果として、先が見えない」ということだと思います。
だから、そこまで理解してもらった上での、「先が見えなくて、大変」に聞こえなかったから、違和感があったのだと思いました。それでも、そこまで理解してもらおうというのが、もともと、無理なことで、こうして言葉にしないと、伝わらないことだったとも思います。それでも、今も、伝わりにくいことなのでは、と思っています。
こうした感覚が、今も家族介護者の間で言われている「介護しないと分からない」ことの一つかもしれません。
(この「介護しないと分からない」については、また別の機会……「家族介護者の気持ち」⑧で考えていきたいと思っています。)。
(※2020年の記事の再投稿です)