へなちょこリーダーシップ論

リーダー不在。

日本の経済的凋落が騒がれて久しいのですが、その原因の一つに挙げられるのがこれです。

それでは今、求められるリーダー像とはどんなものなのでしょうか。

昭和と令和。平成の30年間を挟んでこの2時代はいろいろな意味で対照を見せています。

リーダーシップのあり方もその一つ。昭和のリーダーはドラマで描かれるような親分肌の人たちを指していました。

求められる資質とはおおよそ以下のようなものでしょう。

・明快な理想を掲げ、それに従って人を鼓舞する力
・権力志向であり、権力を持つにふさわしい人格
・頼りがいがあり、困った問題をたちどころに解決する力

それは言わば、先生と生徒という関係性の延長とも言えます。昭和の時代、命令を聞き、忠実に実行することを教育された人々にとって、進む方向を指し示し、ぐいぐいと引っ張ってくれるリーダーこそ理想でした。

しかし、こうしたリーダーは得てして、自分の満足のために権力を振りかざすだけの人間になりがちです。言うことは無理難題。困った問題は部下に押し付けて保身だけを図る。

そもそも同質化社会の日本においては有能なリーダーが育つ土壌が脆弱です。理想像を追いかけている間に保身を追求するリーダーばかりが蔓延する社会になり果てた気がします。

そうした状況で「俺についてこい」タイプの指導者は化石または過去の記憶でしかありません。トップダウン型はもはや嫌悪の対象となってしまいました。

では、令和の時代に求められるリーダー像とはどのようなものでしょうか。

ここで3人のリーダーに注目したいと思います。
2022サッカーワールドカップ代表監督の森保一、2023WBC監督の栗山英樹、そして岸田総理です。

この3人に共通点が見いだせないでしょうか。テレビでの発言を聞いただけでわかります。「俺についてこい」型とは正反対。「へなちょこ」です。

森保監督はカタールワールドカップでの成績が評価され26年のカナダ・アメリカ・メキシコ大会も引き続き指揮を執ることになりました。

栗山監督はダルビッシュや大谷をはじめ、史上最強と言われる選手団を作り上げました。

岸田総理については実績云々を語るのは難しいのですが、彼にとってのゴールは総理になること自体にあったようも思えます。
それを果たしたのですから、少なくともご本人にとっては末代までの功績でしょう。

3人のへなちょこ達の成功物語。おそらく昭和時代では想像することが難しかったことと思います。

けれど現代では不思議な現象でもありません。一体へなちょこリーダーのどこがいいのでしょうか。

森保さんの言葉がすべてを表しています。
「選手にはみんな心があると思っていますし、心を預かる仕事だと思ってます」

預かった選手達はチームの歯車ではない。全員が独立した人間。監督は黒子。主役は選手。監督の仕事は主役たちが持つ力を引き出すこと。

どうやらこれが令和のリーダー像だと言えそうです。

しかし、ちょっと待って頂きたい。

森保氏が高校サッカーの高校サッカーの監督だったらどうでしょうか。
栗山氏が高校野球の監督だったら。
岸田総理がミニ政党の党首だったら。

果たして彼らはいいリーダーと言えるでしょうか。

有名なリーダーシップ論の一つにSL理論があります。
SLとはSituational Leadership(状況対応型リーダーシップ)の略。
部下の能力によってリーダーシップの発揮方法を変えていく、という理論です。

部下の能力度合いによって4つのアプローチがあるとされています。

1)教示型リーダーシップ・・・メンバーが新人
2)説得型リーダーシップ・・・メンバーは経験があっても実績がない
3)参加型リーダーシップ・・・メンバーはそこそこの経験と実績
4)委任型リーダーシップ・・・メンバーはできる人たち

この理論で言えば、上記の3名は委任型リーダーシップで成功している人たちということになります。何しろ、メンバーはプロ中のプロです。

その人たちに「俺についてこい」と言っても始まりません。
するべきことは「お任せすること」そして「裁量権を与えること」

これを上手くやっているのが森保監督であり、栗山監督なのです。

昭和型リーダーは、メンバーが新人の場合にその力を発揮します。
しかし、メンバーが力をつけてきたらご退場願うのが正解。

さらに、達人たちで構成された組織なら委任型リーダーが最良だということになります。

リーダーがへなちょこだからメンバーが力を発揮する。
令和の時代に最も求められるのがこのタイプだと言えそうです。





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集