適応障害で2ヶ月休職したアラサーOLの話
こんにちは、果実酒です。
タイトルの通り、私は過去に適応障害で約2ヶ月ほど休職したことがあります。
この記事では、なぜ私が適応障害になったかお話していきます。
今適応障害と診断されて休職をする予定の方や、今の仕事が辛くてしんどいと思っている方に参考にしていただければと思います。
適応障害って何?
適応障害とは何か、chatgptについて聞いてみました。
すごく簡単にいうと、何かしらのストレスで生活するのがしんどくなることです。
もし、上記に該当するような症状が出ている人がいれば、病院やクリニックにかかることをおすすめします。
適応障害になった経緯
私が適応障害になったのは、仕事のストレスが原因です。
社内の体制変更により業務量が爆増
ストレスのきっかけは、所属していた部署の体制変更による業務量が一気に増えたことです。
私の会社は広告代理店向けのサービスを提供している会社で、そこのメディア事業部に所属していました。
ある時、同じ部署の上長から、私をゆくゆくはリーダーにしたいから責任重大な業務を任せたいと言われました。
その業務とは、クライアントに関わる業務が中心で、納品の管理だけではなく連絡業務もとてつもなく多いものでした。
社内の体制変更と共に、私の業務内容と量が一気に変わりました。
私が担当している業務は、基本的に私一人しか携わらない業務なので、その分負荷が大きかったです。
朝9時〜夜12時ぐらいまで稼働するのがデフォルトでした。
そのうち、仕事量がさらに増えて、夜12時ぐらいまで稼働しても仕事が終わらないことが多くなりました。
仕事中に涙が出るようになった
社内の体制変更から約1ヶ月後、ふとした時に涙が出るようになりました。
止まらないほど涙が溢れ、自分でもコントロールできませんでした。
また、この頃から日常生活でイライラすることが増えて、少しでもうまくいかないことがあると心の中の怒りが止まらないことがありました。
その時から自分の体に変化が出てきたのはわかっていたのですが、周りに相談できませんでした。
上長は私よりも忙しかったし、私の業務をストップさせてしまえば部署の売り上げにも影響すると考えたので、ひたすら我慢しました。
スマホを床に叩きつけて大泣き
社内の体制変更があって約2ヶ月後、業務の逼迫度がピークに達しました。
毎日終わりが見えない業務に追われ、毎日泣きながら手を動かしていました。
そんなとき、夜11時ぐらいになって、仕事の合間をぬってご飯を食べようと思いました。
まだ仕事が残っていたので、簡単に食べられるものが良かったのですが、冷蔵庫や食料棚を見てもありませんでした。
しかし、コンビニに行くのも面倒で、結局何を食べればいいのかわからなくなり、仕事のことで頭がいっぱいなのに、ご飯をどうすればいいのかという悩みも追加あれ、脳内のキャパがオーバーしてしまいました。
その瞬間、「どうしようどうしようどうしようどうしよう」と言いながら、持っていたスマホを床に思いっきり叩きつけ、泣き喚きました。
本格的に今の状態がやばいと焦り、落ち着いた後にすぐに上司にチャットを送りました。
「大変申し訳ないのですが、体調が悪くてどうしても仕事を続けられそうにないので、しばらくお休みをいただきたいです」という文面を送り、そのまま寝ました。
次の日の朝に上司から、「とりあえず今はゆっくり休んでください」と言われました。
期限が過ぎているタスクや引き継ぎされていない業務が頭から離れませんでしたが、何もすることなく、残っていた有給を消化してお休みすることにしました。
迷いもありつつも、そのまま休職へ
有給を消化して1週間ほど経った頃、体調はある程度回復はしていました。
そのまま復帰してもいいかなと一瞬思いましたが、今復職したら会社から「リフレッシュできて良かったね!」ぐらいにしか思われなかったら嫌だなと思い、収入の不安もありましたが、休職することを心に決めました。
メンタルクリニックでも「適応障害」と診断され、その診断書を会社に提出し、約1ヶ月休職することが決定しました。
休職中の過ごし方
休職1〜2週間
休職が始まって1〜2週間は、毎日10時間以上寝ていました。
適応障害で休職している人あるあるっぽいのですが、休むことで逆に体がしんどくなるみたいです。
なので、ご飯を食べたりお風呂に入ったりすること以外は、基本的にベッドで横になって過ごしていました。
休職3〜4週間
3週間目以降はだいぶ体が良くなってきたので、買い物で外にでたり、本やPCをいじることが多くなりました。
適応障害になる前みたいにアクティブなことはできませんでしたが、少しずつ作業ができるようになってきました。
ただ、まだ気持ちの浮き沈みはあったので、クリニックから処方された抗うつ薬を飲みながらなんとか生活していました。
休職5週間
5週間目以降は、適応障害を発症する前と同じぐらいの体調に戻っていました。
引き続き抗うつ薬は飲んでいましたが、外に出て運動をしたり、お出かけをしたりすることが増えました。
復職日に向けて、ドキドキはしつつも穏やかに生活できていました。
結論、心も体も壊してまでやるべき仕事は存在しない
適応障害と診断されて学んだことは色々ありますが、一番言いたいのは「この世に心も体も壊してまでやるべき仕事は存在しない」ということ。
休職する前の私は、「今は無理してでもやらなきゃいけない」「今詰め込まないと会社の売り上げが立たない」と思っていました。
でも、身体を壊してしまえば、後々頑張ろうと思っても頑張れない身体になってしまうし、そもそも無理しなきゃいけない状況になったのは会社のせいだと考えています。
適応障害と診断されたことは正直ショックでしたが、自分自身の考えが変わるきっかけになったのは良かったと思っています。