
読書感想文「完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込」若林 正恭 (著)
人はモノゴトに慣れていく。あれほど社会不適合な若気の至りの青二才と言われるような者が自意識過剰に、文句を垂れていたとしても、いつの間にか世の渡り方が身に付いていたりする。時間というものの効能は、わからないものだ。
機嫌よく生きることだ。わからないことをわからなくてもいいと放っておく力を得ると言ってもいい。なぜだ?と問うということは、釈然としないので飲み込めないということだ。不思議だねー、そーだーねー、ふーん、とやり過ごせばいいだけのことなのに、だ。つい我慢ならなくて、納得がいかないと言い出してしまう。では、世の中を変えるのは、こうした「異議申し立て派」かと言うと、実はそんなことはなく、わからないものごとがあるという前提で、自分でいろいろ試して「やってみる派」の方だ。
なので、オジさんは知っている。度胸もないくせにグチグチ文句言ってんじゃねーよ。まずは手を動かせよ。オジさんに抵抗している場合じゃないのだ。思うことがあれば、オジさんを邪魔したり面倒をかけたりしないのであれば、できることからやってみちゃえばいいのだ。大怪我をしなけりゃいいし、周りに迷惑を掛けちゃうトラウマ級のフラッシュバック黒歴史案件だって、案外、他人には忘れられているものだ。そんな恥ずかしい赤面の自分のことだって、自分自身をおちょくって笑いとばせばいい。保つのはプライドじゃない。目先の心の平穏だ。ズルいだの不公平だのと不満に乗っ取られている場合じゃないのだ。
若林が成長によって習得したマインドに注目すべきだ。決して「チャンスを掴んだ」という文脈に落とし込んでわかったフリをしちゃいけない。ラジオを通じて世に出て、落語のまくらを学び、体を張って「痛さ」が突き刺さりながら、身に付けたものだ。いつも構造から考え、疑問を持ち、純文学と新書を読む人だ、ということも。