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読書感想文「PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記」アレクセイ・ナワリヌイ (著), 斎藤 栄一郎 (翻訳), 星 薫子 (翻訳)
ロシア人のメンタリティとは、貧窮する逆境下において、オンボロでボンコツでクズな機械や材料を揃えて、どうにか工夫と我慢で成し遂げちゃうことへの「誇らしさ」ということになるらしい。耐窮生活が長くなりすぎると、そう思わないとやってらんなくなるのかも知れん。
ナワリヌイは、決してロシア国家=ロシア国民ではないという。権威主義で「権力が何度も何度も、とことんひねくれ者で、とことん嘘つきの者たちの手に握られれている」ために、法治主義はからきしで、権力の牽制機能が働かないからだ。
それでもクレムリンにとって厄介なナワリヌイのような者が、どうして出てきたのか。ロシア国民は貧しいが、それでもソ連時代に比べれば、自由競争の市場経済で国家が運営されるようになり、他国からの評判をある程度は気にする国にはなったから制限付きの「自由」が存在するからだ、と言えそうだ。
とは言え、当局の難癖や言い掛かりによって、拘束され、軟禁される。権力は強い。国民にほどほどの生活とアルコールを与え、自分たちは無力で、何かを変えられるわけではないと思わせておくのだ。
他山の石とすべきだ。個々人が確かな知識を得て、世事を正確な事実として判断できるようでいるべきだ。さもなくば、毒を盛られる立場になりかねない。