世界に嫌われたので、この世のすべてに感謝することにした。
雨。
それもザザ降り
いや、そんな音、生ぬるい。
ドババババババババババババババ降りよ。
私が帰ろうとしている時に、まるでスナイパーのように出てくる雨雲さん。
ひょっこりはんしないで下さい。雨神様。
思えば、朝の時点で「世界が私を嫌ってる日」を予想できていたかもしれない。
朝も準備していたはずのものが、夜のうちにカバンを脱出してて、探すのに15分もかかった。
それに着ていくはずの制服が、まるで猛者にやられた、威勢だけはいいザコみたいに、ゆかに打ちのめされていた。
なんとか見つけ、制服も別のを着ていったけど、そういえば朝から何かと不運だったかもしれない。
だが、もう遅い。
何もかもが遅い。
自転車の置き場は、別の人に取られているし、いきなり重大なことが発覚したし。
もう少し前に教えてくれればよかったのに。
それからは、なんとかこなし、家に帰った。
いや、「家に帰ろうとした」だろう。
その時、雨が降り出した。
ゲリラ豪雨、ってこういうことなのか….と、この半年で一番のゲリラ豪雨に、呆然としていると、もう大雨。
30秒で、小雨からいっちょまえに、大雨に育ちやがったんだ。
ちょっと、考える暇おくれよ。
頼むからさ。
ね?
ゲリラ豪雨さん。
それからは、肩身が狭い思いで、一旦戻り、帰るのを待った。
待てども待てども、回復せず、雨も続いている。
どうやら1時間先までは雨、さらには、雷雨だ。
これから、激しくなるらしい。
もう、どういうことなのか。
意を決して、私は外に飛び出た。
そして、急いで家に駆け戻り、ふぅと思って、ちっこいアイス(ピノ的な)を出す。
蒸し暑い日にも、アイスは最適だ。
というか、凍傷になるような寒さの日以外はアイスはいつでもwelcomeよ。
アイスを噛んで、歯がちょっと痛くなったとき、外を見ると……
雨がやんでいた
はぁぁぁああああああああああああああああ!!!!?????
おまッッッッッッおまえッッッッ!!!
ふざけんなよ!?
なんで、今なんだよ?
いまじゃなくてもよかっただろ!
もうちょっと前にやんでくれよ!頼むからさぁ!
やはり、今日は「世界が私に嫌ってる日」なのだろう。
こういう時、というか、現在形で今、わたしはイラつきやい。
というか、イラついている。
この気持ちを解消しないまま行くと、これからのわたしのフィーバータイムが、台無しになってしまうだろう。
わたしが生まれてから、一度も目を離さず見守ってくれている「わたし」がいうのだから、まちがいない。
だから、今日は、今日だからこそ。
「世界がわたしを嫌っている日」の対処法を考えようと思う。
今度からはこの記事を見るだけで、ポジティブになれるっていう寸法だ。
なかなかにナイスじゃないか?自分よ。
(ああそうだな!自分よ!)
1.そもそも、イライラという感情がない人間になる
これができれば、いうことはない。
今、ブッタ様が見ているならば、彼にしかこれは理解できないだろう。
違うから、この記事を見てるんだと思うけど、一応書いておこう。
「悟りを開いてみよう」
ちなみに。
わたしはムリだ。
2.イライラする必要があるのか?と聞いてみる。
悟りを開けないあなた(自分)には、「イライラする必要があるのか?」と聞いてみよう。
何かとうまくいかなかったことに。
些細なことでイライラした時に。
「イライラする必要があるのか?」と聞いてみよう。
ここで大切になるのは、「そんなに怒ることか?」ではなく「イライラする必要があるのか?」にすること。
例えば、スーパーで週一の買い物に行ったとき、
前のおばさんのお支払いが遅れていたとしよう。
その日が、もしわたしが、「世界に嫌われている日」だったら、わたしはイライラしてしょうがない。
というか、今、想像しただけでイライラする。
「もっと財布の中を整理しとけよ」と思もうだろう。そうすれば、こんなにお支払いに時間をかけなくて済む。それにもっと電子マネーの普及を勧めれば、もっと早くなるだろう。ピッ!だけだから、小銭一枚取り出す時間と同じだ。
世代遅れだから、という意見もあるだろうが、このスーパーを利用するのは、親世代orおばあちゃん世代だから、講座でもすればいい。
一度、そういう人を集めて、ケータイ講座みたいな感じで。
こういう時に、「そんなに怒ることか?」と聞かれれば、わたしの不満をぶつけれれる!という気持ちに急かされ、「もちろん。」と答えるよね。
即答of即答だ。
だって、イライラの気持ちで充満しているんだから、そこに針を刺されれば、イライラがすごい勢いで出ていって、「もちろん。」と答える。
つまり、イライラしている時に「そんなに怒ることか?」と聞かれても、「もちろん。」としか答えない。
全く冷静になれないよ。
経験者は語る、だから安心していい。
だから、大切なのが「普通に考えて」だ。
「普通に考えて、わたしはこれにイライラする必要があるのか?」
こうするだけで、冷静になれる。
イライラすることは、とてつもなくエネルギーを使う。
だって、一度イライラすれば、解消するまで頭にどかっと居座り続けるからだ。
スマホのストレージをイメージしてみて。
イライラ、というのはこれの大部分を占めてくる、データ量の重いものだ。
しかも、時間が経てば経つほどに、大きくなっていく。
ストレージの残り容量は、「心の余裕」だ。
これが0になれば、人に親切にできなくなる。
余裕が持てなくなってしまうんだ。
モノや人にあたるようになる。
まるで、大竜巻のような人間になってしまう。
だから、コスパみたいに、「このイライラはこんなに苦しい思いをしてまで、わたしに必要なものか?」と考えてみよう。
そうすれば、スッと気が楽になるはずだ。
さっきの例も、「もちろん」とは答えなくなるはずだ。
だって、わたしがこんなに苦しい思いをしてまで必要であるはずがない。
そうしたら、手放そう。
夕飯は何にしようかな〜とか考えながら。
3.好きなことをしてみる。
次にやってみてほしいのが、「好きなことをしてみよう」ということだ。
嫌なことを忘れられるように、好きなことしてみよう。
なんでもいい。
ガンダムが好きなら、ガンダムを眺めたり、作ったりすればいい。
本が好きならば、コーヒーを飲みながら、お気に入りの一冊を読もう。
ダンスが好きなら、一度、サクッと踊ってみよう。
大切なのは、それが「私の心の隠れ家」だということ。
ここなら、嫌なものに傷つけらずに、私がわたしのままでいられる、というところを探してみよう。
どこでもいい。
大人っぽい。子供っぽい。男らしい。女らしい。それをするメリットは?
こんな有象無象がいうことなんか右耳から入れて、左耳から出そう。
ムダであればあるほどいい。
現代は、「休みは生産性を上げる」と理由を作らいないといけないようになってしまっている。
工業革命の悪いクセだ。
こう考えている時点で、休みに生産性が入ってきちゃってる。
そういうときは、「のび太さんのエッチビンタ」で、どうかおかえりいただこう。
体が宙に浮いて、ぶっ飛ぶくらい強烈なやつを一撃、ね。
あと、それがもし、「心が落ち着かない場所」ならば要注意だ。
例えば、SNS。
これを「心の隠れ家」だと勘違いしている人がいる。
そうではない!
心の隠れ家は、「自分で作れる場所」というのが大切になる。
SNSは、常に誰かから与えられていないと、居場所ではなくなる。
細かくに言えば、本もお菓子もコーヒーも。
誰かから作られたものだ。
だが、人間が生きていくうえではしょうがない。
だが、SNSはより密接だ。
生命線、と言っても過言ではないくらい、他人からの「どうぞ〜」に重石をのせている。
それに、SNSは批判的な内容を目にすることも多い。
しかも、それはSNSのアルゴリズムにしたがって、忠実にスナイプしてきた投稿だから、SNSのが見せにきているんだ。
それで起これば、もっとSNSは儲かることになるからね。
だからSNSは見ないようにしよう。
4.もう逆に、「ありがとう」と言ってみる。
最後は、「逆にありがとうと言ってみる作戦」。
これまでは、「悟る」「見直す」「目をそらす」だったが、今回は「見直す」ってこと。
見方を変える、といったほうがいいかも。
それが、「ありがとう」
もう、何でも感謝しちゃう。
森羅万象、この世のすべての、神々に。自然に。出来事に。
感謝しちゃおう。
雨が降ったのなら、「私達の食べ物を育ててくれてありがとう」
おばさんが遅いなら、「今日のご飯を考える時間をくれてありがとう」
自転車の止め場がないなら、「今日も安全に移動できてありがとう」
なんなら「生きていることにありがとう」でもいい。
それだけで、ポジティブになれるから。
もう、イライラがありがとうの対象になっちゃうから。
ほら。
あなたも「ありがとう」と言ってみて。
もし、何に言うか迷っているなら、イライラにありがとう、と言ってみよう。
「イライラさん。この記事を読むきっかけをくれてありがとう」
わたしは、今回これで立ち直った。
もう、今の私はありがとうビーム連射中よ。
今、扇風機をつけた。
毎回、風をくれてありがとう。
イライラへ。
この記事を書くきっかけをくれてありがとう。
読んでくれるあなたへ。
最後まで、読んでくれてありがとう。