下西 風澄

哲学を中心とした執筆。 「色彩のゲーテ」(『ちくま』)、「文学のなかの生命」(ミシマ社…

下西 風澄

哲学を中心とした執筆。 「色彩のゲーテ」(『ちくま』)、「文学のなかの生命」(ミシマ社)、 「詩編 風さえ私をよけるのに」(『GATEWAY』)、他。不定期メルマガ&動画のパトロンコミュニティはじめました。 https://twitter.com/kazeto

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下西風澄『生成と消滅の精神史─終わらない心を生きる』(書評・インタビュー・トークイベント)

昨年12月に刊行された『生成と消滅の精神史─終わらない心を生きる』(文藝春秋)の重版が決定しました。 ※2023年7月、3刷が決定しました。 ※2024年1月、4刷が決定しました。 ※2024年8月、5刷が決定しました。 ■「第32回「山本七平賞」 最終候補作」に選ばれました。 ■青山ブックセンター【年間思想ランキング3位】【年間総合ランキング7位】に選ばれました。 僕の予想を超えて、いろいろな方に読んで頂いて嬉しく思います。 本書に関連する記事やイベントなどが出てきて

    • メールマガジン

      今まで書いてきたメルマガのバックナンバーをHP上にアップして、すべての記事を「試し読み」できるようにしました(哲学/文学/コロナ禍の問題/オススメ本など...)頻度は高くないのですが、ひとつずつじっくり書いていますので、よろしければこの機会にぜひ。

      • 宮崎駿の悲しみと問いかけ─『君たちはどう生きるか』

        『君たちはどう生きるか』を観た。 しばらくしたら専門家が本格的なレビューを書くのだと思うが、今の段階では簡単なレビューしか書かれていない。ちらりと見たレビュー記事が「ファンタジーへの回帰」を称賛するというもので、あまりにも素朴すぎると感じたので、僕も感想を書いてみたい。 一度見終わった直後に走り書きしているので、固有名や記憶違いがあるかもしれないが、その熱だけでも留めておきたい。 宮崎駿の自我 空襲警報が高らかになり、燃え尽くす街を駆ける少年の映像。冒頭の1分ほどの映像

        • ChatGPTと詩を共作してみました。

          僕は詩を書いています。 「ねむの木の祈り」(『ユリイカ』2021年12月号 特集=フレデリック・ワイズマン) 「ぼくたちは死んでいく。」(朝日新聞、2020) 「詩編 風さえ私をよけるのに」(『GATEWAY 2016 01』、YYY PRESS、2016) など、いくつか公刊されて読めるものもあります。 機械と詩昔から、詩を書くことは自己の意識を半ば手放しながら言葉を紡ぐものだという感覚を持っていて、そのことにアルゴリズムや機械のプロセスを介入させるのは興味深いと思ってい

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        下西風澄『生成と消滅の精神史─終わらない心を生きる』(書評・インタビュー・トークイベント)

          テロと宗教、戦後日本の家族について。

          元首相に対するテロ事件の社会にもたらす影響と、宗教の問題。また戦後日本の家族について。 ■テロがもたらすもの/自由意志と責任/社会運動と文学・哲学の二重戦略/戦後日本の家族について/江藤淳『成熟と喪失』 ※こちらの動画はサンプルです。 ※本編(約1.5時間)を閲覧希望の方は、こちらからお申し込みください。

          テロと宗教、戦後日本の家族について。

          戦争・《ドライブ・マイ・カー》・雑談

          ウクライナ戦争におけるロシアの思想、特に戦後の科学思想について。 濱口竜介監督《ドライブ・マイ・カー》について。 最近のコロナ状況などの雑談について。 ※こちらの動画はサンプルです。 ※本編(約1.5時間)を閲覧希望の方は、こちらからお申し込みください。

          戦争・《ドライブ・マイ・カー》・雑談

          アメリカの文化・科学思想を理解するための10冊

           近年、誰もが肌で感じているように、民主主義という政治思想・制度は、コンピュータ/インターネットによって第二ステージに突入している。生活のあらゆる局面で私たちは情報デバイスに接続し、情報を提供しながら情報を享受し、システム全体の一部であるかのように生きざるを得ない。システムとカップリングした人間たちによって形成される意志決定やライフスタイルは、20世紀後半に生じた情報革命以前の時代とは一線を画している。このような技術的環境について思考するにはもちろん、科学技術そのものではなく

          アメリカの文化・科学思想を理解するための10冊

          vol.010 空白の未来とサルトルの不安

          「私たちはたいていの場合、未来をまえもってきまった形として描き出し、それへの「期待」のうちに生きつつ、現在をそのための手段と化している[…]そうなればもう、一方では未来が既定性を帯びて未来固有の空白さが覆われ、他方では現在の瞬間それ自体のかけがえなさも失われ、かくして時間は一本の線のようにあらゆる脱自性を欠いて、不安も自由も決意も創造もすっかり見失われてしまうだろう。」                    ─竹内芳郎『サルトル哲学序説』  生の無意味さに耐えることほど残酷

          vol.010 空白の未来とサルトルの不安

          アメリカの科学思想と宗教

          1950年代に興隆した認知科学とその思想は、アメリカの建国期以来の宗教観とも結びついています。アメリカにおける宗教観や2000年以降のキリスト教の経済的活動、また日本での宗教観などについて考えてみました。 ※こちらの動画はサンプルです。 ※本編(約1時間)を閲覧希望の方は、こちらからお申し込みください。

          アメリカの科学思想と宗教

          COVID-19 #2 不可避の死(前編)

          ※この記事は、1年前(2020年4月25日)に、メールマガジン「折々の便り」で配信した記事をサンプルとして公開しています。 ※一年前から、社会的な状況や医療状況など様々な変化がありますが、データは別にしても、根本的なテーマは変わらないと考えて公開しています。 文明の病 感染症は文明の病である。感染症を殲滅させることは、文明の否定を意味する。人類史において感染症が発生したのは、森を切り開いて生態系をつくり変えたこと、家畜を飼って動物と接触するようになったこと、交通をひらいて長

          COVID-19 #2 不可避の死(前編)

          vol.009 ヴァレリーと暇

           今回のメルマガは、読者さんからの質問に応答するかたちで書いてみようと思います。質問が少し長めだったので、僕のほうで要約しながら書いてみます。文面は異なりますが、だいたい下記のような質問でした。 伊藤亜紗さんの『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』を少しずつ読んでいます。 本書で「空間恐怖、それへの補足物が装飾になるだろう…」というテキストが出てきます。また、先日の僕のtwitterでこのようなつぶやきがありました。「人は無意味に耐えられない。情報(News)は、考えることなしに

          vol.009 ヴァレリーと暇

          vol.008 恐怖の正当化と自由─三島由紀夫とナメクジ

          「君は水爆とナメクジとどっちが怖い?」ときけば、まず躊躇なく、 「ナメクジのほうが怖い」というだろうが、これでは水爆実験禁止論者からは頭ごなしに叱られ、世間からは笑われるのがオチでありましょう。しかし彼の答は正直なのであります。 ─三島由紀夫「恐怖と自由」(『不道徳教育講座』) ナメクジが怖い人間は、たとえ水爆だろうが散弾銃だろうが、どんなに世間が恐ろしいと思うものでも、それよりもともかくナメクジが怖いのだ。三島由紀夫はそう言った。 僕たちの社会は、いま、感染症という病に

          vol.008 恐怖の正当化と自由─三島由紀夫とナメクジ

          『なぜ私は仏教徒ではないのか』(E.Thompson)─認知科学と仏教の距離。

           『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)の著者である魚川祐司(ニー仏)さんが、noteにて僕の論文『生命と意識の行為論』(下西、2015)を読んで、そこから仏教と認知科学に関する話題を展開されていた。せっかくなので、その応答的コメントを書いてみようと思う。  その記事はこちら「enactiveな軽薄さ」で、Evan Thompsonという哲学者の昨年出版された著書『Why I am not a Buddhist』(『なぜ私は仏教徒ではないのか』)に対する疑念を紹介するというも

          ¥500

          『なぜ私は仏教徒ではないのか』(E.Thompson)─認知科学と仏教の距離。

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          ミシェル・フーコー「医学の危機あるいは反医学の危機?」

           現在、コロナ禍において医療と経済、また権力の関係が問題となっており、哲学の領域ではまさにその問題を先んじて論じていたミシェル・フーコーが再読されている。公衆衛生から人口統計にいたる権力として概念化された「生権力」が特に注目されているが、フーコーが直接的に「医学と経済」の関係を語った講演録「医学の危機あるいは反医学の危機?」(一九七六年)がある。  今の状況下で読むに値すると思えるので、その一部(特に「医学の経済学」というテーマに関する文章)を抜粋した。短いテキストなので、

          ミシェル・フーコー「医学の危機あるいは反医学の危機?」

          パトロンの「思想」─ 愛・知・業 ─

          ※この文章は、サポーター募集の過程で書かれたものです。 ※詳しくはクラウドファンディングのページを御覧ください。 https://community.camp-fire.jp/projects/view/253502 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■知の場所、知の周縁  かつて、大学という場所には、自由でおおらかな時間が流れていて、不要不急の知や文化の創造の土壌があ

          パトロンの「思想」─ 愛・知・業 ─