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鬱病のおかげで見えてきた自分

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今日は「鬱のおかげで見えてきた自分」というテーマで綴ります。

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私は9月頃から体調を崩した。

朝方の強い気分の落ち込みや、動悸がでる。

これまで何度か憂鬱な時期はあったが、自分でコントロールできない感覚は初めて。

精神科を受診したところ鬱病と診断された。

主な原因は仕事へのプレッシャーや環境の変化に対応できていなかったこと。

今思えば、父や祖母の死、コロナ感染、椎間板ヘルニア、職場の異動、農作業の負担。

たくさんの要因があった。これらがいくつも重なった結果だったのかも。

仕事を休職することになり、自分が鬱病になってしまったというショックと、今後の働き方をどうしたらいいのか不安のど真ん中にいた。

家族も普段なら仕事に出かけている父親がずっと家にいることに、心配と違和感があったようだ。

夫婦関係もギクシャク。

家族が学校や仕事に出かけた後、私は一人になる。

そんな時間はモヤモヤが色濃くにじみ出てきた。

かろうじて相棒犬だけはいつもと変わらずなついてくれた。

YouTubeなどでうつ病という病気について学び、休職期間をどのように過ごしたら良いのかを学んだ。

まずは考え事や悩み事を忘れて休むこと。

やってみるとこれが難しい。

悩みは溢れんばかりに湧き上がるし、何かしなければ自分にたいして無力感が襲ってくるのだ。

それでも心を落ち着かせて、気持ちが良いと思えることに集中してみた。

すると、少しづつ生活のリズムが整ってきた。

休職中の一日スケジュール

  • 同じ時間に眠り、同じ時間に目覚める

  • note執筆

  • お弁当、朝食準備

  • 朝日を浴びて相棒犬と朝散歩

  • 家事(掃除、片付け)

  • 映画鑑賞や読書

  • 昼食、昼寝

  • ストレッチ、体幹トレーニング、腰のリハビリ運動

  • 長女の送り迎え

  • 夕食準備

  • 入浴

このようなスケジュールで過ごした。

家族もだんだん慣れてきて、普段と変わらない様子で過ごせるようになっていた。

このころには休むことを楽しめるようになっていた。

自分のペースで生活できることに喜びすら感じる。

こんな生活がずっと続いたらとも思った。

心が元気を取り戻すと、こう考えるように

「なるべく病気になる前と同じ環境で生活をしよう。」

うつ病の時期に人生にかかわるような大きな判断はしないほうが良い。

病気の原因が仕事だったとしても転職や退職をしてしまうと、その変化に対応できない可能性が高まる。そうなると、病状が悪化してしまう懸念があった。

ひとまず復職し、また病状がでるようなら、その時は環境をかえようと考えた。

もちろん復職にあったての不安は消えない。それでもリスクをできるだけ避ける方法として、現職への復帰がもっとも懸命だと判断。

同時にわたし自身の考え方や捉え方を変えることにした。

自分がもっとも大切にしている価値観はなにか?

将来のビジョンはどのようなものか?

この二つの質問に対して向き合った。

それから内省してみると、病気する前と変わった点がある。

自分を責めることが少なくなった。自分に優しくなれた。

これまで人の役に立つ、なにかを達成できる。そんな自分に価値を感じていた。言わば、条件付きの自己肯定感だ。

これが今では何もできない自分、うまくできない自分でも問題ない。不完全なそのままの自分で良いんだと思えるようになった。

とにかくメンタルヘルスが最重要課題と捉える。

心を守る。

この変化はとても大きなものだった。

気持ちが軽くなったし、落ち着きを取り戻せた。

うつ病を発症したおかげで見えてきた新しい自分。

それは他人にも自分にも優しく穏やかなメンタリティー。

だれも責めなくても安心して生きていくことができる。

視野が広くなって、心に余白ができた。

ありのままの自分でOKな自己肯定感が理解できると人間関係は飛躍的に良くなる。

そんな良い関係を築ける自分がもっと好きになる。という好循環が回りだすのだ。

ただ、どんな人とでも良い関係が築けるわけではない。

どうしても相性の悪い相手はいる。そのような時は、結論として諦める。(明らかにして観る)仏教的思想だ。

変えられないことに執着しない。自分の考え方だけを変える。

それ以外なにかしようとしない。手放す。ほっとこう。

それでよい。エネルギーを自分の大切な人に注ごう。

鬱病を発症したおかげで、気づけたことはたくさんある。

大袈裟かもしれないが、新しい自分に生まれ変わったみたい・・・。

ネガティブな感情をそのまま受け入れ、寄り添い認める。

そんな自分でもいい。それが自分なんだ。

究極、「生きる」という活動を支えてくれている体を心から大切にできると感動すら覚える。

どんな状況でも感謝することは可能だし、それが自分自身を救ってくれる。

鬱病にすら感謝できる。

病気で苦しんでいる方にとっては違和感を感じる言葉かもしれない。

私も発症初期にこんな言葉を聴いても見向きもしなかっただろう。

症状が落ち着き、冷静に考えられるようになると、このように思う。

「病気というものは、体と心からのメッセージだ。」

その声を聴き逃さず、キャッチしてあげよう。

同じような病気で落ち込んでいる方の心が、わずかでも軽くなって頂けたら幸いです。

どうか、あなたの心に平安が訪れますように。祈りを込めて・・・。

ということで今日は「鬱病のおかげで見えてきた自分」というテーマで綴りました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

ではまたバイバイ♪






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