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(128) 黄昏れる

過去に”拠りどころ”を求めるのは、自分のこれまでの人生を”肯定”したいからだと、さもそれで良しというかのように世間で言われたりする。大切なのは”ここの今”だ。”ここの今”から目を背けることの代償として、過去に”拠りどころ”を求めたりすることは痛い。”今”から目を背けないで欲しい。私は生業上、こうクライアントに訴える。

「お前、この頃黄昏れていないか?」
と、二つ上の先輩から言われて怖くなり、食欲がなくなり、肩の張りと頭痛を主訴に来所となった。三十八歳、男性である。弱っているのだろうか、年齢よりかなり老けて見えるのは気のせいか?その空気・声の調子・目の力から拝見するに極度の「気分障がい(うつ)」と思われた。精神科から投薬もあると言うことであった。

「黄昏れていないか?などと先輩はそんな古典的な言葉を使われたのですか?」
「はい・・・」
蚊の鳴くような声だ。
「実を言うと、今でもその言葉の意味がわからないんです。そう言われるのと同時なんです。身体の力が抜けて頭が真っ白になり、一瞬で空っぽになり、息が止まったんです」
「いつの事ですか?」
「五ヶ月前の事です。そんなの初めてだったから、怖くてすぐに精神科を受診して薬をもらいました。どんどん悪くなっています。とにかく怖いんです。【黄昏れ】という言葉が私には【もう終わり】だという印象に映りました。きっと私自身のせいです。ネガティブですから・・・」

確かにそうだ。
人は誰も自分流の解釈で言葉を使う。ひとりひとり”意味づけ”が違うのだ。だから面白いし愉快でもあるのだが、人の勝手な”意味づけ”に、また、受けた側が勝手な”意味づけ”をして大いに誤差が生じることになる。噛み合わないことが多いのだ。投げた方は何気ないひと言でしかないのだが、受ける側によって大きな問題を引き起こすことにもなる。それは受け手の持っている”潜在的不安”と「どう受けたか」という”認知”によるものと考えられる。
”認知”などと難しいと思われるが、ポジティブかネガティブに受け取るのか?と考えたらいいと思う。言い換えるなら、潜在的に持っている不安が大きいと、どうしてもネガティブに寄って考えてしまうということになってしまう。

「もしかするとですが、日々人から何か言われるごとに緊張し怖い思いでいますよね。出来たら、もう話しかけないで欲しいと思っていませんか?」
「その通りです。何か言われるたびに怖くて・・・。声を掛けられるごとにビクッとします」
「それは辛いですね。毎日毎日それだけでも疲れてしまいますね。何とかしないとね。あなたは、誰かから何か言われるのが怖いのではなくて、それ以前にあなた自身がご自分のことを認めていなくて、ここがダメ、そこもダメと評価出来ず”否定的”でいるんですよ。たぶん音がするだけでもビクつくはずです」
「はい、その通りです」

クライアントは自身で何もかもわかっている。
「黄昏れる」という言葉そのものが、自身を否定されたものではないことも、単にそれがきっかけとなっただけのことも。ただ日頃からほんの少しのきっかけさえあれば、自己の”否定感”が表れることに落胆と同時に「自分の扱い」がわからないでいるのだ。それを怖がっている。

人は誰しもそんなものだ。
わかっているけど、どうしようもないことだらけを背負っている。「わかる」こととどう「対処」したのかは全く別のものなのだ。わかっても、どうしたらいいのかわからないものだ。このことを解き明かすことは難問だ。

「こんなダメな自分」と決めつけることが全ての始まりだ。あとのことは大したことではない。「どんな自分なら合格なの?」と、聞きたい。確かに、それは漠然とあるのだろう。それから、どれだけマイナスかを感じ、自らの評価をしてしまう。減点法というわけだ。

5キロほど車を走らせて、旨いと評判のカフェにたどり着く。
「キリマンジャロをお願いします」
かしこまりましたの後、評判のコーヒーが運ばれてくる。香りがすごい。ひと口飲む。
「ぬるっ!」
これをどう受け取るか?
私自身が試されているようなものだ。
好みもあるのだろうが、コーヒーは熱いが命なのだ。紅茶とはそこが明らかに違うはずだ。「コーヒーは熱くあって欲しい」これが願いだ。しかし、「ぬるい」・・・これをどう「捌く」?考えてもみれば、熱いまま運ばれて来ても、三口目か四口目あたりでは、結構冷め始めて「ぬるい」のだ。熱さも旨さの条件ではあるが、旨いものは冷めても旨い。四口目だと思えば良いだけのことだ。

「こうあって欲しい」が満たされたら、満足であり嬉しいと思うのは確かだ。ひとつやふたつ足りないは数に入らないと思えないだろうか?「減点するな!ゼロに出来てるものを積み上げよう」とはいかないのだろうか?
決して難しくはないはずだ。

つい先日、藤井聡太八冠が叡王戦を落とし、七冠となった。
「何か問題でも?”七冠”なんですよ」
と言い放ち、”安気”でいたいものだ。



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